FUZZY-TECHIE(ファジー・テッキー) イノベーションを生み出す最強タッグ

発刊
2019年10月3日
ページ数
384ページ
読了目安
535分
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文系人材の価値とは何か
STEM教育による理系人材だけでは、優れたイノベーションは生み出せない。テクノロジーの民主化によって、むしろ文系人材の価値が高まるとし、これからの時代に必要な教育とは何かを論じる一冊。

リベラルアーツの必要性

スタンフォード大学では人文科学や社会科学を学ぶ学生は「文系(ファジー)」、工学や自然科学を学ぶ学生は「理系(テッキー)」と呼ばれている。

従来のリベラルアーツ、つまり文系科目に浸かりきった人々には、明日のハイテク主導経済で成功する準備ができていない、なぜなら彼らはSTEM(科学、技術、工学、数学)分野で求められる職能を持っていないからだ、という主張が今日広く信じられている。しかしそれは逆だ。彼らこそ、めまぐるしく進化する経済の中で成功するために必要不可欠な知識とスキルを持っている。実のところ、テクノロジーが人々にとって身近で大衆的なものへと進化し、いたるところで目にするようになるとともに、リベラルアーツの意味合いを問い続け、人の欲求と欲望について深く考察することが、技術ツールを開発する上で必要不可欠の要件になってきた。

この世の中で最も深刻な諸問題の解決策を見つけるには、コンピューターのコードだけでなく、人と人との関係性を理解する必要がある。倫理もデータも、深く思考する人々も深層学習する人工知能も、つまり人と機械の両方が求められている。

リベラルアーツ教育の価値

シリコンバレーを見渡すと、「理系」人間の代表選手ともいえる多くの起業家たちが、実は尋問の方法や、厳密な思考方法に関する教育をかつて受けたことや、多くのハイテク企業が一般教養、即ちリベラルアーツ教育で学んだ哲学を基礎に築かれていることがわかる。技術の発達でかつてないほど使いやすいツールボックスが手に入るようになって、リベラルアーツで学んだことが競争優位になっている。

リベラルアーツ教育の価値とは何か。人文科学と社会科学は、そもそも人間性とは何か、我々のコミュニティー、社会にはどのような性質があるのかといったことを中心に研究する学問である。リベラルアーツで学位を得ようとする学生には、我々はどのように振る舞い、なぜそのように振る舞うのかを調べてみたいという強い動機を持っている者が多い。こうした学生たちは研究を通して多くのことを学び、そこで得た知識を駆使して今日の課題を考え、解決すべき主要な問題に取り組み、様々な分析手法や対処法を編み出していく。

これからの時代のイノベーションにとって最大の機会は、進化する技術力を我々の生活や社会に生かそうとする試みの中にある。イノベーションは、我々が自分の最も得意な仕事の割合を増やし、残った仕事を機械にやらせるための最適な方法を見つけ出せるようになるための工夫から生まれる。しっかりしたリベラルアーツの教育を受けた労働者は、こうした目標を追い求めるための強い基盤を持っている。

リベラルアーツ分野には、技術革新の世界に多大な貢献をできるものがたくさんある。例えば、心理学は我々の感情や思考方法になるべく調和する製品をつくるのに役立つ。企業が製品開発やマーケティングを実施するにあたっては、文化的要素と個人の行動要因の検討が必要で、人類学はその理解に貢献できる。

リベラルアーツ教育の誤解

リベラルアーツに対する批判の大半は、誤った前提に基づいている。曰く、STEM分野の学生に比べると厳しさが欠け、「軟弱」で非科学的だと。実際、リベラルアーツ教育では、緻密な観察やインタビューといった、厳格な調査/分析に関する多くの方法が重視されるが、これはハードサイエンスの信奉者からは必ずしも高く評価されていない。

文系と理系の融合が大切

文系人間は、専門分野間の溝を橋渡しし、様々な問題とそれらに対処する技術的な手段を予想もしない方法で結びつけ、最も有望なイノベーション分野を追求するために、複数部門をまたぐチームを全力で作り上げる。今日の世界で最も刺激的で影響力の強いイノベーションは、文系人間と理系人間の専門知識の融合によって実現しており、幅広い分野で最も重要な諸問題を解決する最も強力な手段を作り出している。