非常識に生きる

発刊
2021年3月11日
ページ数
216ページ
読了目安
172分
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思考停止に陥らないための処方箋
堀江貴文氏が、遊ぶように自由に生きるための考え方を紹介している一冊。常識に捉われて、嫌な仕事を続けたり、行動しないことこそが人生の無駄であるとし、より密度の高い人生をおくるための指針を書いています。

非常識に生きる自由

非常識を唱える側の人たちは、「危ないことはするな」「何かあったら心配」「未来が損なわれるよ」など、思いやりの言葉をかけてくる。しかし、心配とは別の意図を持っている。「みんなやりたいことを我慢しているのだから、お前も我慢しろ」という同調圧力で、自由な僕らの足を引っ張ろうとしている。

みんな一緒であろう。突き抜けてはいけない。ルールから外れて、動き出さなければ安心。それらの圧力が、日本社会に蔓延している常識の正体だ。

 

常識に従い、大きな夢も欲も持たず、同調圧力に逆らわない生き方が楽だというなら、それでいい。人生における「流れ」の種類は無数にあり、自然に乗れるなら、どんな「流れ」でも受け入れればいい。ただ、「流れ」に従うことが常識的か非常識であるかを判断するのは自分自身だ。常識を守って生きる自由だけでなく、非常識に生きる自由が、もっと当たり前に認められるべきだ。常識はいつだって、僕たちの思考を縛ろうとする。

 

自分のやりたいことを見つけ出し、大きなチャンスを掴むには、常識だけでは足りない。知識とか人脈とか運ではなく、非常識への踏み出しが大事だ。リスクをとって、非常識な振りのできる人が最後には勝つ。それが、常識なのだ。

 

仕事は「食っていくため」にするものではない

普通のサラリーマンに、なぜ働くのですか?と聞けば、ほとんどは「生活のため」「家族を養っているから」と答えるだろう。しかし、食べることが目的なら別に働かなくても叶う。嫌なことをしなくてもフードバンクを利用したり、安い総菜やパンで空腹は充分にしのげるはずだ。

 

「仕事は嫌だが、行きたくない会社に通い、懸命に働くべき」という理不尽な常識に、みんなとらわれている。僕たちの暮らしは、遊ぶだけでも成立するようになった。仕事と遊びの境界線をなくしてしまおう。遊びのように楽しめない仕事なんて、人のやることではない。

 

遊んで生きる暮らしは、誰にでもできる選択だ。もし自分にはできないと言うなら、「できない」理由をつけて遊びを捨てただけではないか。最もらしい理由を持ち出して、自分ができないことの言い訳にして、行動に制限をかけている人は、人生を無駄にしている。

最も大事なのは、遊びたいという欲を持つことではない。手や足を好きに動かして、遊び出すこと。つまり、行動だ。一度行動を起こしたら、人生は必ずや大きく動き始める。遊びに飛び込み、遊びにハマることで、思いがけない成功につながっていく。

ビジネスで大きく成功した者たちは、みんな遊びにハマるエキスパートだ。あれこれ考えないで、好きな遊びに夢中になっている。そうした者にこそ、ビジネスチャンスや、人やお金が自然に集まってくる。

 

アイデアより行動

何かを始めようという時、準備を整えたり、考えを練っていたりして、立ち止まっているのは完全なる無駄だ。とにかく、今すぐ動き出そう。優れた思考から、物事は始まらない。行動からしか何も始まらないのだ。失敗を恐れ何も行動しないことが、最大のリスクだ。

行動する時に役立つのは、SFの想像力だ。想像が現実をデザインする。人間の頭で想像できるものは、必ず実現できる。その実現を可能にするには、何をおいても行動だ。

 

ビジネスで成功した者たちは、みんなアイデアに価値がないことを知っている。行動して設計図を描き、形にした者だけが勝利と報酬を手にしてきた。

検索エンジンを使えば、無尽蔵にアイデアは得られる。自由に発信することもできる。だが、ほとんど形にならない。実際に形にしようと行動する人はわずかだ。つまり、スピーディに行動するだけで、横一線の状態から抜け出せる。

形にしてみたら酷評されるかもしれない。しかし、形にすれば価値は少なくともゼロではない。1でも2でも、価値を自ら創造しよう。ゼロより1つでも何かを足していれば、後でレバレッジをかけられる。いつか違う大きなチャンスになるかもしれない。

参考文献・紹介書籍