実践版 三国志 ― 曹操・劉備・孫権、諸葛孔明……最強の人生戦略書に学ぶ

発刊
2016年5月18日
ページ数
296ページ
読了目安
281分
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三国志から人生戦略を学ぶ
三国志に登場する人物の生き方を分析し、何が成功と失敗をもたらしたのかを解き明かす一冊。乱世において大切なことは何か、現代を生きる上でも有効な人生の戦略について書かれています。

離れる力こそが飛躍するための原動力

後漢から三国時代の始まりは、古い秩序や支配体制が崩壊する時だった。支配者の権力争いに巻き込まれないため、曹操は首都から離れた。曹操や袁紹の乱世のキャリアは、逃げる事から始まった。

危機から巧みに離れる事は、英雄の英雄たる所以でもある。危険から離れない者は、キャリアの崩壊や死という敗北を迎える。ただ離れる事で信用を失えば、それが新たなリスクあり、信義を失わない事が大切である。

曹操の最大の特徴は、伝統や古い常識から自由だった事である。彼はカビが生え始めた漢王朝の伝統的思考から離れる事ができた人だった。さらに自分だけが新しい世界観を持つのではなく、自軍団の意識も変えていった。そのために、仕組みや制度をいち早く、最大限活用した。

・ただ才能だけを見て出世させる人事制度
・孫子の兵法に注釈をつけたマニュアルを武将に配布した
・食糧を増産して兵士と民衆を安定させた

 

人が尻込みする場面は、飛び込む者には絶好の機会

暴虐な董卓に対抗するため、190年に反董卓連合が結成される。反董卓連合14名の有力者の内12名は没落し、曹操と孫堅の家系は生き残り繁栄した。彼らの多くは、後漢の滅亡時に名士だったり知識人だったりした。そのために地位を得たが、乱世は違う時代である事に気づかなかった。政権が安定した時代と同じように考え、リスクや危険を過小評価した。

曹操と孫堅は、反董卓連合の中でも機会を重視する武将だった。他の有力者が董卓を怖れて戦わない中で、果敢に戦闘をしたからである。董卓が暴政で広く憎まれていた社会的な流れを読んでの事であろう。

曹操は董卓の軍と勇戦して大敗したが、宴会ばかりしていた有力者に比べて名を高めた。曹操の勇敢さは、崩れゆく後漢帝国に共感を持つ全国の名士達の心を捉えた。反董卓連合の盟主だった袁紹に失望して曹操の陣営に入った荀彧は、曹操の長所を4点挙げている。

①適材適所(袁紹は部下を疑ってばかり)
②決断力に富む(袁紹は優柔不断で機会を逃す)
③信賞必罰で兵士が死ぬ気で戦う(袁紹は軍令を正しく浸透させない)
④質素に振る舞い、功績を挙げた者に称賛を惜しまない(袁紹は自分の評判ばかり)

袁紹は天下分け目の董卓との戦闘で、相手を怖れて出撃せず名声を損なった。14の軍閥を一致団結させて率いれば、勝率は高かったはずなのにである。一方、曹操と孫堅の勇気と決断力、行動力に評価が集まった。

 

優れた人材を吸収しながらリスクに対処

曹操が成長し続けたのは、彼が優れた人材を愛して、我が手に「追い求め続けた」からである。袁紹陣営から離れた名士、名参謀の多くは曹操陣営に駆け込み重宝された。

曹操は、優秀な人物を組織に取り込み続ける一方で、突出した個人に振り回されないように仕組みをつくった。曹操は荀彧に「君に代わってわしのために策を立てられるのは誰か」と聞いている。曹操は優秀な人物を推挙させ、同じ役割をこなせる人を2名、3名用意する事で、組織内で優れた個人が私的な権力を膨張させる事を防いだ。そして、成果を挙げた者を無差別に褒め讃える事で不満を解消した。そのため、常に同僚と競争して成果を出す環境でも組織は一致団結していた。この組織戦略で曹操は勝ち、人材を愛する姿勢で人を離散させなかった。