エクストリーム・エコノミー 大変革の時代に生きる経済、死ぬ経済

発刊
2020年10月9日
ページ数
528ページ
読了目安
817分
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極限状態にある場所の経済から世界の向かう先を予測する本
世界の9つの極限状態にある場所の経済を取り上げ、今後の世界経済が向かう先を予測する一冊。極限状態の経済の中では、現在の経済学では捉えられていない「信頼」や「互助」といった社会資本が重要な役割を果たしていることを示しながら、非公式経済の大切さを説いています。


・インドネシアのアチェ:巨大な津波に襲われ、住民は全てを失った。
・ザータリの難民キャンプ:シリア人たちは内戦で家や仕事も全部置いて逃れてきた。
・ルイジアナ州最大の刑務所:人口に対する服役囚が高いことで知られる。
・ダリエン地峡:豊かな自然と資源に恵まれながら、無法地帯のまま世界で最も危険な場所とされる。
・コンゴ民主共和国の首都キンシャサ:1000万人が暮らしている大都市としては世界で最も貧しい。
・イギリスのグラスゴー:かつてイギリスの最上都市という称号をロンドンと争ったが転落した都市
・秋田:高齢化の最先端
・エストニア共和国の首都タリン:テクノロジーのフロンティア
・チリの首都サンティアゴ:不平等社会のフロンティア

2030年に向かう場所

今、世界で最も極限にある経済は、2030年の不安やストレスについて何を教えてくれるだろうか。

これから向かう未来の中でも、確実にそうなることがわかっている代表的な例は都市化だ。1950年には、世界人口の70%以上が農村部に住んでいた。その後、街や都市は大きくなり、村は縮小した。2007年には、世界の都市人口が初めて農村部の人口を上回った。この傾向は今後も続き、2020〜2030年にかけて都市人口は約7億9000万人増加すると予測され、人口1000万人以上の「メガシティ」の数は43にのぼる見込みだ。2050年には、70%の人が都市部に住むようになる。かつてアルフレッド・マーシャルが論じた集積の経済が、さらに力を持つようになるだろう。

 

次の10年間で最も重要な動向は、高齢化、テクノロジー、不平等だ。この3つは世界に共通する動向で、すでに大きな懸念を引き起こしており、今後も強まっていく可能性が高い。2030年には、日本、イタリア、スペイン、ポルトガルの4か国で、50歳以上の人口がそれ未満を上回り、今日の秋田のようになる。タリンの取り組みを真似て予算の節約を図ろうとする政府が増え、ロボットや自動化ソフトウェアなどのテクノロジーが職場や雇用への影響をますます強め、国家レベルでのデジタル化が進んでいく。サンティアゴに見る都市の不平等は、他の新興経済国において、高所得者の上位10%の合計が全体の所得の50%に近づくにつれて、ありふれたものになる。

2030年には、地球上の大半の人たちにとって、社会は秋田、タリン、サンティアゴの3つの街をミックスしたようなものになるだろう。高齢化が進み、テクノロジーが多くを担い、経済的に不平等な都市社会に。

 

市場は万能ではない

困難にさらされ、ダメージを受けた場所では、装飾を剥ぎ取られた生の経済が表出し、現在の政治経済でよく議論される自由市場の役割が浮かび上がってくる。21世紀に入って20年が経ち、市場をどのように管理するかについての意見は2つに分かれている。左寄りの政党は、国家により大きな権力を与え、企業と技術の成果を管理したい。右寄りの政党は、起業家により自由な裁量を与えれば、競争が規律をもたらす一方で、貪欲な利益追求が課題を解決すると主張する。だが、世界で最も過酷な場所を見てみると、両極は避けるべきだとわかる。

 

社会は非公式な市場を独自につくり、立ち直る力を発揮することがよくある。独自の取引と価値の交換は、大災害に見舞われたアチェ、ザータリ難民キャンプ、ルイジアナ州の重警備刑務所においてさえ短時間の内に出現した。国の支援もなく、多くの場合かなりの障害に直面しながらも、自然発生的に出現し栄えた。

統制された経済で非公式の取引を阻止することは、単に物やサービスの交換を妨げるだけではない。市場は、売り手と買い手の間で物が動く場であると同時に、個性と自己表現をサポートする場でもある。国や統制機関の管理が厳しく、自由な取引の芽生える余地のなかった場所ほど、活気がなく寂れていた。

 

問題なのは、市場は万能ではないことだ。いい市場が価値を生むのは確かだが、悪い市場は価値を破壊する。問題の多くは経済の「外部性」にある。これは、ある当事者が、他の当事者に課すことになるコストを考えずに何かを決めてしまう時に起こる。外部性が問題なのは、そのせいで自由市場が良くないものを大量に生み出したり、良いものをほとんど生み出さなかったりするところにある。

市場は、最も必要とされる場所に確実に誕生するわけでもなければ、弱った時にすぐに回復できる保証があるわけでもない。キンシャサは、植民地時代と独立後の指導者の失敗により、公式経済は行き詰まり、日常生活の隅々まで腐敗が蔓延してしまった。グラスゴーの産業をロケットのように高く打ち上げた集積の力も、下降時には都市の没落を加速させてしまった。こうした失敗の中心にあるのはすべて経済だ。うまくいっていない場所には、根幹に市場の機能不全があった。

 

2030年に繁栄を謳歌しているのは、人間の持つ、市場をつくる能力を活かす一方で、抑制の利かなくなりがちな自由取引のマイナス面を和らげる、中庸のモデルを見つけた都市だろう。だが、エクストリーム経済の失敗例は、そのモデルが簡単には発見できないことを示している。

中庸の道を歩いていくには、GDPの浮き沈みだけでなく、壊滅的な災害に逢っても耐えられる私たちの能力についてよく知り、経済のレジリエンスを大切にしなければならない。レジリエンスを理解するには、現在の統計や政策の議論には表れてこない部分も含めて経済をとらえる必要がある。非公式経済の役割は、政策当事者が考えているよりもはるかに大きい。

極限のストレスにさらされ、大きく変化する場所では、社会資本の役割がはっきりとわかる。他者の資産を結びつける接着剤となって、そこからより多くを引き出すことができるのだ。信頼と互助が行き交う場所、つまり社会資本の高い場所では、物的資本と金融資本がより有効に活用されている。