アートは資本主義の行方を予言する

発刊
2015年9月16日
ページ数
218ページ
読了目安
235分
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アート作品はどのように値段が決まるのか
日本初の現代美術画廊である東京画廊のオーナーが、アート作品の値段はどのように決まるのか、資本主義の典型例であるアートにまつわる経済を解説した一冊。

アートは資本主義経済の典型例

アートは純然たる「美術」であると同時に、それは「商品」であり、その「商品」の「価値」を人々は判断し「価格」をつける。アートが面白いのは、数万円で売り買いされていたものが、時を経ると、何億、何十億にもなったりする。価格がいきなり100倍、1000倍にまで変動すること自体が、資本主義社会の仕組みである。そして、その資本主義社会の特質を最も先鋭的な形で表しているのが、アートである。

絵画の史上最高額は、2015年7月現在でゴーギャンの『ナフィア・ファア・イポイポ』約355億円。次いでセザンヌの『カード遊びをする人々』が約325億円と言われている。絵画の値段というのは、あってないようなものだと言われる。

有用性の低いものほど値段が上がる

株や不動産などどんなに値が上がっても倍率は競馬や宝くじにも及ばない。そう考えると、絵画は投資対象として特別である。価値の伸びしろが一番大きいゆえに、お金持ちが投資する究極の対象は絵画だと言われる。但し、価値が上がるまでには時間がかかる。資産となるまでの時間に、価値のカラクリがある。

たった一枚の絵にどうしてこれほどまでの値段がつくのか。普通に考えると有用性の高いものが商品として成り立つ。しかし、絵画は実用性という意味においては高いとは言えない。生活に必要不可欠ではないものに、最も高い値段がつく。

マルクスは、商品の価値を「使用価値」と「交換価値」に分けて考えた。「使用価値」とは、商品そのものが日常生活の中で使われることによって生み出される価値。「交換価値」とは、その商品と他の商品とを交換する時の価値である。資本主義経済において「交換価値」は、時に人の思惑でどんどん上がっていく。そして、出発地点で「使用価値」が低いものほど、時間が経つと「交換価値」が人の思惑で上がる可能性がある。

「使用価値」が高いものは生活必需品であることが多い。当然、需要が多いので、大量に生産されることになる。大量に生産されるということは希少性がなく、値段が上がらない。

版画やリトグラフなどは例外として、一人の画家が生涯に描く点数は多くても数千点であり、非常に希少性が高い。それは有用性ということに捉われず、芸術家が美という自分自身の価値に従って作ったオリジナルなものだからである。希少性と有用性は相反するものである。有用性の低いもの、「使用価値」の低いものこそ、「交換価値」が高くなる。絵画というのは日常の有用性、「使用価値」が低いがゆえに「交換価値」が上がるという、資本主義社会の価格と価値のパラドックスを象徴するものである。

意味を説明し納得させることで価値がつく

画商の仕事は幅の広い価格帯を持つ美術作品を扱いながら、作品に応じて適正な価格を判断し売買をすることである。それにはまず信用が第一。さらに作品の持つ力や意味を理解し、時代の流れや美術の歴史の中でどのような意味があるかを判断する力が必要になる。

アーティストたちが価値の転換を行うように、それを商う画商が値段をつけて売るからには、価値の転換とその意味を周囲に説明し、納得させなければいけない。美の商人であるからには、相手に「美しい」と思わせることができるかどうかで勝負が決まる。解説すること、評論することも、価値を作っていく。