ラディカル・アクセプタンスーーネガティブな感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる

発刊
2020年6月26日
ページ数
438ページ
読了目安
699分
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心を穏やかに様々な感情を受け入れる方法
現在、アメリカで最も注目されているマインドフルネス指導者が、ネガティブな感情から抜け出し、あるがままの自分を受け入れる技術を紹介している一冊。仏教をベースとしたマインドフルネスを基礎として、自分自身に思いやりを持つための考え方が書かれています。

自分はダメな人間だという思い込み

自分はダメだと信じれば信じるほど、孤独で精神的にも弱くなるという悪循環に陥る。そのもう一段深いレベルでは、人生は信用できない、何か悪いことが必ず起きるという根本的な恐れがある。疎外感や自己否定感は様々な苦しみに繋がる。自分はダメで何か欠けているという信念は愛に猜疑心を向け、他人は信用できない存在であるという絶望感を心の奥にもたらす。

 

「自分はダメな人間だ」という思い込みから目を覚ますためには決意のみではなく、心と頭を積極的にトレーニングしていく心構えが必要である。すべての経験、あるがままの現実を優しい心で受け止めるという仏教の気づきの練習を通して、思い込みの苦しみから自分自身を解放する。このマインドフルネスと思いやりを開拓することこそが、ラディカル・アクセプタンスである。

 

ラディカル・アクセプタンス(受け入れる技術)

檻から抜け出すにはまず、瞬間瞬間に起きている、自分と自分の人生経験すべてを、はっきりとした意識と思いやりで受け止めることから始まる。すべてを受け止めるとは自分自身を傷つける行動や傷つけられるような行動を容認せよということではなく、自分の身体と心に起きていることを、コントロールしたり、批判したり、避けようとしないで、常に意識し続けるということ。

これは「今」という瞬間に起きている現実を、あるがままに受け止めるという内面の取り組みである。哀しみや痛みに抗うことなく、誰かや何かに対しての欲望や嫌悪感を感じる自分を非難したり、それに対してすぐに反応することなく見つめるということである。

 

自分の中で何が起きているかを明確に捉え、そのプロセスを通して見える自分を優しく愛に満ちた心で受け止めることが、ラディカル・アクセプタンスである。自分で作り上げた考えを手放し、痛みと欲望を優しく包容し今という瞬間の経験に寄り添っていく。

ラディカル・アクセプタンスの過程には、2つの受け入れ要素があり、これらは相互に依存している。次の2つの要素によって、「今」という瞬間の経験をあるがままに感じることができ、次第にもっと自由な選択肢が自分の前に広がり、いかなる次のステップをとれば良いかが鮮明に見えてくる。

 

①明確な観察:自分の中で起こっていることをはっきりと見る

この「明確な観察」は仏教の中ではよくマインドフルネスと呼ばれている。これは今の瞬間瞬間に、何が実際に起こっているかに気づくことのできる意識である。このあるがままの経験への気づきはラディカル・アクセプタンスの本質である。何を受け入れているのかが明確に見えない限り、その経験を正直に受け入れることは不可能だからである。

 

②思いやり:その経験を思いやりの気持ちで受け止める

思いやり(慈悲)は、気が付いたことに対して温かみのある思いで接することのできる私たちの力量を指す。恐れや悲しみという感情に抵抗するのではなく、それをまるで痛がる子を母親が抱くような優しさで包み込む。思いやりは自分の体験を尊重し、今という瞬間に起きているあるがままの人生と私たちの絆を深めてくれる。そして、思いやりは、受け入れる気持ちを真摯で完全なものにしてくれる。

 

「間」をとる

ラディカル・アクセプタンスへの第一歩は、意識して「間」を取ることを習うこと。「間」は活動を停止して、一時的にゴールへ突き進むのをやめ、「次に何をしたらいいんだ?」と考え続けるのをやめることである。現在の活動を一時中断して座って瞑想してもよい。「間」を取るとは、考えたり、歩いたり、予定を立てたり、心配したり、食べたりといった活動と身体をストップし、意識のすべてを今という瞬間に向けることである。

 

ラディカル・アクセプタンスの心髄

ラディカル・アクセプタンスとは間を置き、そして自分の中で感じているすべてのことを無条件の優しさで受け止める練習である。嫉妬心や怒りを敵対視することなく、いかなる気持ちをも認め、優しい心で受け止める。何が起きていようと、それは単に「現実」で、間違いではない。ラディカル・アクセプタンスの心髄はこの無条件の優しさと言える。

ラディカル・アクセプタンスの精神は感情の痛みに逆らうことなく「はい」と受け止めることで花開く。「はい」と言うのは自分が経験していることをコントロールする術ではなく、人生をあるがままに受け止める手助けである。