ビジネス教養としてのウイスキー なぜ今、高級ウイスキーが2億円で売れるのか

発刊
2020年3月21日
ページ数
240ページ
読了目安
239分
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ウイスキーに詳しくなる本
世界的にブームとなっているウイスキーの歴史と現在を紹介している一冊。ウイスキーとはそもそもどのように作られるようになったのか、なぜ日本のウイスキーが人気なのかなど、ウイスキーに詳しくなります。

ウイスキーの起源

ウイスキーを意味する蒸留酒が、文献に初めて登場するのは15世紀。1494年のスコットランド王室財務係の記録に「王命により修道士ジョン・コーに8ボルの麦芽を与えアクアヴィテをつくらしむ」となる。アクアヴィテは、ラテン語で「生命の水」を意味し、多くの蒸留酒の語源となった。世界で初めてウイスキーの蒸留が行われた地域は判明していないが、蒸留法がアイルランドからスコットランドへと伝えられたと推測されている。

当時、ウイスキーづくりは主に修道院で行われていたが、16世紀のはじめに宗教改革が起こり、修道士たちがスコットランドを追われることで、技術が民間に伝わった。当時は、蒸留したままの色のついていない粗い酒だったと考えられている。

密造がウイスキーを作り出した

ウイスキーは当時、スコットランドの人々が自分たちで楽しむためにつくる「地酒」に過ぎなかった。それが1715〜1746年に起きたイギリス政府に対するスコットランドの「ジャコバイト蜂起」後、ウイスキーに重い税が課せられるようになった。そこでスコットランドの民は、山岳や渓谷などの辺鄙な場所で、ウイスキーを密造するようになった。そこでウイスキーの製造法が次第に変わっていった。

良質な水とピート(泥炭)が豊富にあり、原料となる麦芽の乾燥にピートを炊くという習慣が定着。さらにウイスキーを隠し持っておくために樽を使うようになった。

ブレンドの手法により拡大

密造に業を煮やしたイギリス政府は、密造を減らすために、蒸留業を免許制にした。これを受けて1824年、グレンリベットが免許を取得し、政府公認第1号の蒸溜所となった。その後、密造者たちも、政府公認の蒸留業者となっていった。

ウイスキーの風味の9割は樽で決まると言われるほど、樽はウイスキーの風味に影響を与える。同じ時期に同じ製法でつくられたウイスキーでも樽が違えば風味が異なる。グレンリベットは、毎回均一の味にするために原酒をブレンドする方法を取り入れた。この手法により、異なる蒸溜所のモルトウイスキーと、異なる蒸溜所のグレーンウイスキーとを混ぜたブレンテッドウイスキーが誕生した。グレーンウイスキーを混ぜたブレンテッドウイスキーは、飲みやすく安価で、評判が広がっていった。

1880年代後半から1890年代の10年間にかけて、スコッチはコニャックやブランデー、ワインなどと肩を並べる世界的な蒸留酒になった。ジョニーウォーカー、バランタイン、シーバスリーガルなど、今日まで続くスコッチのブランドは、ブレンテッドがつくられるようになった19世紀後半から20世紀初頭に誕生した。

ブレンテッドからシングルモルトへ

シングルモルトは、単一の蒸溜所のモルトウイスキーのみを瓶詰めしたものを指す。1987〜1988年に6つの選ばれた蒸溜所から「クラシックシリーズ」として、シングルモルトがリリースされた。シングルモルトは基本的にどれもクセが強く、大衆向きではないと考えられていたが、右肩上がりに販売が増えた。バランスの取れた飲みやすいブレンテッドウイスキーから、クセは強いけれどキャラクターがはっきりしているシングルモルトへと、人々の嗜好は移っていった。

2000年代には、クラフトウイスキーブームとなった。小規模な蒸溜所が増え、スコットランドでも2020年までの10年間で、60近い蒸溜所が誕生している。