百円の男 ダイソー矢野博丈

発刊
2017年10月6日
ページ数
296ページ
読了目安
445分
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ダイソーはなぜここまで成長できたのか
100円ショップ、ダイソーの創業物語。なぜ、ダイソーはライバル企業に打ち勝ち、成長を遂げたのか。ダイソーの商売の流儀が紹介されている一冊。

100円ショップのダイソー

「100円ショップ」最大級のダイソーの売上高は、2017年4200億円。店舗は、国内に約3150店、海外26の国と地域に約1800店の合計約4950店。販売する商品の総点数は約7万点。1ヶ月あたり約500〜700点の新商品を発売している。このダイソーを率いる矢野博丈社長は、ここまでの企業に成長させるのに様々な逆境をはね返し、数々の修羅場をくぐり抜けてきた。

ダイソーは経営計画を持たないが、商品1つ1つについては、徹底して計画している。やはり、いかに魅力的な商品を並べるか。100円で、これだけのものが買えるのか、と思ってもらわないとダメである。100円でどうやって作るか。100円で売って、どう利益を出すか。100円というハンディが、結果的にダイソーの商品の品質向上につながった。

貧乏暮らしからのスタート

矢野博丈は1943年に生まれた。各地を転々としながら開業医として働く家庭は貧しかった。父親は貧しい患者からは治療代を取らない医者として有名だった。父親からはとにかく「手に職をつけろ」と言われた。

高校時代はボクシングに明け暮れ、勉強は一切していない。大学は夜学を受験し、なんとか合格した。その後、4年間の大学生活の中で、授業に出たのは100日あるかないか。矢野はとにかく働いた。大学の学費も生活費も自分で何とかできると父親に断言して以降、矢野は自分で稼いだ金で生活した。

学生結婚をした矢野は、大学卒業後に妻の家業を継ぐ。魚問屋を経営し、店舗が2店あり、同時に養殖業にも参入していた。ところが社員は3人くらいしかおらず、養殖業は潰れかけ、経営はうまくいっていなかった。矢野がいくら働いても業績は回復しなかった。2年ほど経つと、銀行から融資してもらえない状態に陥った。矢野は両親と兄たちに借金の返済は約束し、妻と二歳半の長男を連れて、夜逃げのようにして東京に向かった。

良いものを利益度外視で安く売る

矢野は女房と子供がいたからこそ、借金を返そうと必死に働いた。百科事典のセールスマン、ちり紙交換屋、ボウリング場勤務などを経て、移動販売を始めた。大阪の露天専門問屋でトラックが満載になるくらいの商品を買い、それを広島で売り歩いた。ちょっと見ただけではわからない傷もののB級品を数百円で仕入れ、鍋などは2000円くらいの値段で売る。商品は驚くほど売れた。何度も繰り返し買ってもらえるように、自分の利益を重視することなく、正直に「お客様第一主義」の商売をした。これが、リピーターの固定客獲得につながっていった。

1972年に矢野商店を創業した。客に喜んでもらえる原価を高くした良い商品を売り、誰よりも働き、客に来てもらうためにチラシをたくさん作ってポストに入れる。扱う商品数は何百にもなる。伝票を調べて、客を待たせないように、値段は全て「100円」になった。利益を度外視し、原価を上げた。原価を80円まで上げ、時には98円のものを100円で売った。客が喜んでくれればいい。そうしている内に「矢野さんとこは、商品がいい」と評判になり、大手スーパーからも引き合いがくるようになり、全国同業者の中で一番売れる店になっていった。

他の移動販売の業者は原価が20、30円しかない商品も混ぜて100円で売っていたが、矢野は固定客相手に原価をギリギリまで上げた商品を売る。そして、他社の移動販売よりもいち早く、常設店舗を展開していった。100円均一ショップはバブルが弾け、長期不況に突入した1990年代後半から急速に売り上げを伸ばした。矢野は月に50、60店舗もの出店を続けた。

参考文献・紹介書籍