読書という荒野

発刊
2018年6月6日
ページ数
237ページ
読了目安
264分
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読書の本質
様々なベストセラーを世に送り出してきた幻冬舎代表の見城徹氏による読書論。これまでの著者の読書体験や作家との交流について語りながら、読書の意味や本質とは何かについて問いかけます。

人は読書によって言葉を獲得する

人間と動物を分けるものは、「言葉を持っている」という点に尽きる。人間は言葉で思考する。言葉を使って自らの生や死について考え、相手に想いを伝える。人を説得し、交渉し、関係を切り結ぶ。そして人生を前に進めていく。

では、人間としての言葉を獲得するにはどうすればいいのか。それは「読書」をすることにほかならない。本には、人間社会を理解する上でのすべてが含まれている。人間は途方もなく多様な存在で、自分では想像もできないような考えを持つ他者がいる。読書で学べることに比べたら、一人の人間が一生で経験することなど知れている。読書をすることは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことを意味する。人間の美しいさや醜さ、葛藤や悩みが見えてくる。そこには、自分の人生だけでは決して味わえない、豊穣な世界が広がっている。その中で人は言葉を獲得していく。

現実世界で戦う自己を確立する

「自己検証」「自己嫌悪」「自己否定」の3つがなければ、人間は進歩しない。

①自己検証:自分の思考や行動を客観的に見直し、修正すること
②自己嫌悪:自意識過剰さや自己顕示欲を恥じ、自分の狡さや狭量さ、怠惰さに苛立つこと
③自己否定:自己満足を排し、成長していない自分や、自分が拠って立つ場所を否定し、新たな自分を手に入れること

現状に安住し、自己検証と自己嫌悪と自己否定を忘れるようなことがあれば、生きている価値がない。自分が駄目になっていく恐怖、老いていく恐怖と常に戦ってこそ、自分は自分であり続けられる。そうした感情を味わえるのが、読書である。本を読めば、自分の人生が生ぬるく感じるほど、過酷な環境で戦う登場人物に出会える。その中で我が身を振り返り、きちんと自己検証、自己嫌悪、自己否定を繰り返すことができる。読書を通じ、情けない自分と向き合ってこそ、現実世界で戦う自己を確立できる。

知識の積み重ねよりも、何を感じるかが重要

最近ではあらゆる場所で「教養」の重要性が語られている。しかし、教養とは単なる情報の羅列ではない。人生や社会に対する深い洞察、言い換えれば「思考する言葉」にほかならない。

だから「たくさん読むことがいいことだ」という風潮にも異を唱える。情報の断片を積み重ねるより、そこから何を感じたかの方が重要だ。情報の断片は、検索すれば簡単に手に入る。自分の心揺らぐ瞬間を発見し、思考の軸とすること。それこそが教養だ。

必要な情報を本から取得するのは悪いことではない。しかし、読書とは実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことだ。重要なのは「何が書かれているか」ではなく、「自分がどう感じるか」なのである。

人を動かすためには言葉が必要である

感想こそ人間関係の最初の一歩である。結局、相手と関係を切り結ぼうと思ったら、その人のやっている仕事に対して、感想を言わなければ駄目なのだ。しかも「良かったですよ」「面白かった」程度では感想とは言えない。その感想が、仕事をしている本人も気づいていないことを気づかせたり、次の仕事の示唆となるような刺激を与えたりしなければいけない。

だからこそ「言葉」は武器なのだ。豊富な読書体験を経なければ、武器となる言葉は獲得できない。人を動かすには、一にも二にも頭がちぎれるほど考えて、言葉を選択するしかないのだ。

参考文献・紹介書籍