経済学レシピ 食いしん坊経済学者がオクラを食べながら資本主義と自由を考えた

発刊
2023年11月22日
ページ数
296ページ
読了目安
411分
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気軽に読める経済学の入門書
世界的な経済学者が、「食べもの」から着想を広げ、経済学の様々なテーマを面白く解説している一冊。
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様々な経済学の問題を知るのに役立ちます。

米国は奴隷によって経済発展した

オクラの原産地はおそらく北東アフリカのようだ。アメリカ大陸には、奴隷にされたアフリカ人によって、スイカや落花生、米、ごま、ささげ、バナナと一緒にもたらされた。米国ではこの野菜は一般に「ガンボ」と呼ばれているが、これはアフリカ中部や東南部の言葉に起源を持つ呼び名だ。

 

アフリカ人の大規模な奴隷化が始まったのは、ヨーロッパ人による新世界の侵略からだった。新世界の先住民をほとんど皆殺しにしたヨーロッパ人は、早急に代わりの安い労働力を必要とした。その結果、奴隷商人によって捉えられたアフリカ人の数は1200万人以上にのぼった。

これらのアフリカ人奴隷とその子孫がいなかったら、ヨーロッパの資本主義国は金や銀、綿、砂糖、藍、ゴムといった工場や銀行や労働者を養う資源を安く手に入れられなかっただろう。とりわけ、米国は奴隷の存在抜きには、経済の超大国にはなれなかっただろう。

アフリカ人奴隷が米国で作らされた作物は綿花とタバコだが、19世紀を通じて、この2品目だけで、少ない時でも米国の輸出額の25%、多い時では65%を占めていた。このような輸出収入がなかったら、米国は当時の経済先進国であるヨーロッパ諸国から、経済の発展に必要な機械や技術を輸入できなかっただろう。

 

アフリカ人奴隷は単に労働力を提供しただけではなく、重要な資本でもあった。奴隷たちは担保に使われ、個々の抵当権は、売買可能な債権としてひとまとめにされたという。ちょうど今の住宅や車のローンをまとめて作られる資産担保証券と同じだ。それらの債権は英国などのヨーロッパの国々の金融業者に売られた。そのおかげで入ってきたお金によって、米国は世界中に資本を投下することも、金融産業を世界的に成長させることも可能になった。

 

米国は奴隷たちによって国土を広げた

アフリカ人奴隷は、地政学的な再編を引き起こし、米国を大陸規模の国土を持つ国へと変えもした。1791年に起きた奴隷たちによる反乱「ハイチ革命」は米国にも影響を及ぼした。ハイチで暴動が始まると、多くの砂糖プランテーションのフランス人農場主が、現在の米国ルイジアナ州の地に逃れてきた。当時ルイジアナはフランス領であり、砂糖の生産にも適した土地だった。農場主たちは一緒に奴隷たちも連れてきた。この奴隷たちはサトウキビの栽培や精製の他、農法や精製技術にも精通していて、ルイジアナの砂糖産業を別次元へと押し上げた。

 

ハイチ革命の最大の影響は、1803年のルイジアナ買収だ。当時フランスを統治していたナポレオンは、ハイチ革命で面目を失うと、北米の領土から手を引くことを決断した。その領土の範囲は、現在の米国の国土の1/3にもなっていたが、ナポレオンは米国にルイジアナ全土の売却を持ちかけた。ルイジアナ買収の結果、米国の領土は一夜にしてほぼ倍に増えた。やがてルイジアナは米国の食を支える一大穀倉地帯となった。

ルイジアナ買収は米国が太平洋へ達する上での大きな足掛かりになった。この西進の動きは、1846年の英国からのオレゴン準州の買収と、メキシコ戦争の終結をもって完了した。メキシコ戦争後、メキシコは米国に領土の1/3を破格の安値で売ることを強いられた。つまり、ハイチの奴隷たちの反乱がなければ、米国は現在の国土の東側1/3に留まり、大規模な国土を持つ国にはなっていなかった。

 

経済の自由は本当に自由か

米国で正式に奴隷制が廃止されたのは、大規模な国になってからおよそ20年後だ。しかし、奴隷制に基づいていた主な経済で奴隷制が廃止されても、自由のない労働はなくならなかった。19世紀から20世紀初頭まで、インド、中国、日本からおよそ150万人が年季契約移民として外国に渡り、解放された奴隷の代わりに働いた。彼らは奴隷ではなかったが、最低限の権利しか与えられなかった。

 

自由主義の信奉者はしばしば自由という名のもとに資本主義を擁護してきた。しかし、自由市場派が価値を置いている自由は、とても幅の狭い自由だ。それは、企業が儲かると思ったものを作ったり、売ったりする自由であり、消費者が欲しいものを買う経済の自由のことだ。社会的、政治的な自由と経済的な自由とが衝突した場合、自由市場を信じる経済学者はためらわずに経済的な自由を優先させる。

さらに自由市場派が重視する自由とは、資産所有者が自分の資産を使って最大限に儲ける自由だ。アフリカ人奴隷のように「資産」と見なされた人の自由は、その「所有者」が所有権を自由に行使できるよう、暴力や戦争という手段に訴えてでも制限される。

 

一方で過去150年間で、資本主義がより人道的なものになったのは、自由市場派の間で金科玉条とされる資産所有者の経済的自由を制限してきたからに他ならない。資本主義と自由の関係は複雑で、対立をはらみ、時には両立し得ないものである。この関係の複雑さを理解することで初めて、資本主義をもっと人道的なものにするためには何をすればいいかもわかってくる。