ニコニコ哲学 川上量生の胸のうち

発刊
2014年11月14日
ページ数
288ページ
読了目安
313分
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ドワンゴの思想
ドワンゴ創業者として、ニコニコ動画を育てあげ、KADOKAWA・DWANGOの会長となった著者が、メディア、コンテンツビジネス、生き方といった様々なテーマについて語った一冊。

「わからない」ところには競合もいない

みんなが何をやればいいのかわからない状況だと、そこに競合相手がいない可能性が高い。誰も予測がつかない。それは、逆に成功しやすい状況だ。元々、ドワンゴはそういう会社だった。何者かよくわからないから、競合相手がいなくて独自のポジションを確立できた。そして、KADOKAWA・DOWANGOとなれば、さらにわけがわからなくなる。

 

ドワンゴは、基本いきあたりばったりだが、結果的にすごく計算ずくだったような状況になる事が多い。例えば、2012年に初めて開催したニコニコ超会議。今振り返れば、確実に今のドワンゴ、ニコニコ動画にとってプラスに働いている。ウェブサービスは結局マインドシェアの奪い合いだからである。ミクシィがSNSとして衰退したのは、世間的に「終わった」とレッテルを貼られたから。ニコニコ超会議があるから、とりあえずネット文化の中心地はニコ動にあると思わざるをえない。

 

選択肢の数は重要である。選択肢の少ない世界は競争が激しいから、ひとつ失敗すると終わり。KADOKAWA・DOWANGOはめちゃくちゃ選択肢が多い。

 

必要なのは計算

博打に見える事を成功させるというのは、賭けに確実に勝つという事である。「賭けに勝つ」という事は「賭けをする」という事とは違う。サイコロを振るという事ではなくて、サイコロで勝つ目を出す、ということ。

 

多くの人はニコニコ動画を始めた事が博打だと思っているが、そうじゃない。実際はもっと細かくて具体的な博打の集積である。例えば、ひろゆきに協力を頼んで、引き受けてもらえるかどうか。何人がサイトに来て、何人が定着するのか。実際はそういう小さな博打をたくさん積み重ねている。決して1回大きなサイコロを振ったという話じゃない。必要なのは勇気でも何でもなく、計算である。

 

コンテンツを客寄せの道具にしない

キンドルが米国でやったのは、目玉商品として、売れ筋のペーパーバックを書店よりも安く売った。それをされるのが嫌で、出版社は卸値を高くした。そうしたら、アマゾンは卸値よりも安く販売した。逆ざやを取った。

 

コンテンツビジネスをしていないプラットフォームというのは、とにかくコンテンツの値段を下げようすること。ユーザーが集まってプラットフォームが拡大すれば、後で帳尻を合わせられるから。プラットフォームの拡大時期においては、コンテンツなんかスーパーの特売の卵みたいなもので、客寄せのツールである。

 

どうして値段を下げさせようとするかというと、プラットフォーム側はコンテンツの値段を下げても、懐が痛まないからである。電話料金やパケット代を下げるのではなく、コンテンツの値段を下げた方が、自分の懐を痛ませずに値下げ競争ができて、客寄せができる。コンテンツをつくらない企業がやっているプラットフォームでは、コンテンツは単なるプロモーション材料に堕落する。でも、任天堂のような自分でコンテンツをつくっているプラットフォームは、コンテンツの値段を下げない。むしろ、ゲーム機本体を安く売って、ソフトの売上で回収しようとする。だから、任天堂のゲームのソフトは値崩れが起きなかった。最終的にコピーなどが可能だったPCゲームではなく、ゲーム機ビジネスで任天堂が勝った理由は、コンテンツの値段が下がらなかったからである。

 

「しょうがないな」と思われるポジションをつくる

ニコニコ動画は、たまにとんでもなく悪いUIをつくる。UIの変更は必ずユーザーの反発を呼ぶ。先にひどいUIにしておけば、機能ができた時に改善する事になって、受け入れやすくなる。ニコニコ動画では「ひどいUIを先につくる」事を意図的にやる。

 

日本は自粛する社会である。クレーマーが文句をつけてくると、戦うより先に「申し訳ありません」と要望を受け入れて、どんどん自粛する範囲を広くしていく。しかし、クレームに逐一対応すると、次回も対応せざるを得なくなる。ネットサービスを運営する上で、自由度を確保するのはとても重要な事である。「この会社だったら、しょうがないな」と思われるポジションをつくること。

 

売れると自由度が減る

今、好きなアニメをつくれるのはスタジオジブリぐらい。ジブリには独自のブランドがあって、ジブリが相手にしているマーケットには、競争相手がいないからである。もし、ジブリみたいな会社が100社あったら、その中で競争し合うので、みんなが「表面上」見たいと思っている作品しかつくれない。例えば『天空の城ラピュタ2』とか。

 

ジブリみたいな会社は1社しかなくて、ジブリがつくったものが見たいというお客さんがたくさんいるから、作品に多様性が生まれる。