HELP! 「人生をなんとかしたい」あなたのための現実的な提案

発刊
2023年4月26日
ページ数
328ページ
読了目安
482分
推薦ポイント 8P
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本当に役立つ自己啓発のノウハウとは何か
数多くの著名な自己啓発本で語られている人生をよくするためのノウハウや提案は、無意味だと切り捨て、科学的な研究の裏付けがある知識やノウハウを紹介。現実的に活かせそうな自己啓発とは何かを、一歩下がった目線から解き明かしています。

様々な自己啓発書が出回っている中で、冷静に何が使えて、何が使えないのかを考える手助けになります。

情熱を持てることを探すのは無駄

全国の自己啓発と通俗スピリチュアルの世界に勢いよく広がっていったのが「自らの情熱を見つける」という考え方だ。「情熱」という言葉は、今や人生を通して頻繁に使われるようになった。自らの情熱を見つけることができた人は、その後ずっと情熱のある人生を送ることができるという。このように過剰なばかりの「情熱探し」がいずれは何らかの逆効果をもたらすだろうことは容易に予測できた。巷には未だに自らの情熱を見つけることができずに苦悩している人が多い。

 

情熱とは何らかの技能を修得した時に感じるもので、苦労せずに得る魔法のようなものではない。つまり、情熱は自ら作り出すものであって、「見つける」ものではない。しっかり取り組めば、ほとんどのものが単なる興味の対象から情熱の対象に変わることがわかる。目の前にあるものから、興味あるものを選び、後はそれをしっかり頑張ってやることだ。

 

「いつもの自分」は無意味

自己啓発本や雑誌には、就職の面接や友達作り、商談などをうまく進めるためにも「いつもの自分でいること」がカギになると説かれている。しかし、「いつもの自分でいること」という言い回しは、具体的内容に欠ける無意味なアドバイスだ。第一に「いつもの自分とは何か」という問題がある。第二に、仮に本当の自分が何であるかを認識しているとしても、自分らしく振る舞うのは不可能である。そもそも本物の自分になろうと積極的な行動を試みること自体、既に見せかけの行為に過ぎない。

 

自分の個性や特技を固定的に捉えることは、その人の行動意思を制限し、それ以上の行動やそれ以下の成果に対して不安や不満などのストレスを引き起こす原因となる。これとは反対に、失敗や不成功を恐れず、自分の才能を発展的に捉える考え方がある。早期の失敗は物事が進行中であることを示すフィードバックであると考える。ある意味で、人々はここに至って初めて「いつもの自分でいること」が可能となるのではないか。但し、その「自分」とはそもそも本質的に変化し続けるものである。

 

目標を追いかけるだけが人生か

ビジネスコンサルタントのブライアン・トレーシーは著書『ゴール』の中で、「明確なゴールのない人生は濃い霧の中に住んでいるようなものだ」と書いている。そして、「人々は今現在の時間を惜しんで仕事に精を出さねばならない。そうすれば、将来、それまでの労苦に報いるだけの果実を味わうことができるだろう」と言う。

 

しかし、彼の言うことは間違いである。なぜなら、日々の幸せをコツコツと節約して貯めていけば、死の間際のわずかな時間になって初めて自己満足することができる、と言っているのと変わらない。洞察力のあるステファン・シャピロと比較すればよくわかる。シャピロは「人は特定の目的に拘束されることなく、自らが進む方向を決めることができる。チャンスはしばしば訪れる。自分の特定の目標を盲目的に追いかけている人は、予想しなかった素晴らしい可能性の到来に気が付かない」と書いている。このシャピロの考え方の方がずっと健全かつ賢明に思える。

 

感謝することで幸福度を高める

習慣は贅沢な喜びを退屈な日常茶飯事に変えてしまう。無性に欲しくて、新しく買った物も次第に当初の輝きを失い、幸せだった気分も失せていって、以前の状態に戻ってしまう。これは「ヘドニック・トレッドミル(快楽の踏み車)」現象と呼ばれ、誰もがこの罠にひっかかる。それは物質的な富に限ったことではない。

 

マイアミ大学の心理学教授マイク・マッカローによれば、このトレッドミル現象から脱出する方法は、「感謝をすること」である。彼の実験によれば、定期的に「感謝の日記」を書いている人は書いていない人に比べて、色々な特徴を示している。病気などの身体症状を訴えることが少なく、周囲の事情に用心深く、何事にも熱心に取り組み、全てに決断力があり、他人への思いやりがあり、エネルギッシュで、良く眠り、目的に向けて積極的に動こうとする。

 

人生の感動は期待して得られるものではない

期待に胸を膨らませるものの、いざ注意を集中すると、求めていた感動が幻のように消え去ってしまう、という経験は誰にでもあるだろう。幸福や驚嘆、愛情などのポジティブな感情は取り扱いが厄介である。いざ、それらを体験しようとして自分自身に圧力をかけると、たちまち感じられなくなる。この圧力が他人からのものだとさらに性質が悪い。

真の幸福とは強制されるものではなく、心の中に自由に芽生えるものであって、私たちは幸福が生まれるための環境を整えることはできても、それを強制することはできない。