人間の最大寿命は延びる
過去100年の間、私たちの平均寿命は上昇を続ける一方で、最大寿命の方はそうなっていない。110歳に届く人ごくわずかしかおらず、115歳を迎える人となると限りなくゼロに近い。全体の99.98%は、100歳を待たずに人生を終えている。
しかし、今長く元気でいられるようになる時代は近づいている。単に寿命が延びるだけでなく、新たに加わった年月を健康で生き生きと幸せに暮らせる時代だ。それは皆が思っている以上に早く到来しようとしている。22世紀が幕をあける頃に122歳で亡くなる人がいても、飛び抜けて長生きとはみなされなくなっている可能性がある。
老化は避けて通れないと定めた法則など存在しない。老化は1個の病気である。その病気は治療可能であり、私たちが生きている間に治せるようになるだろう。長い健康寿命を謳歌できる人生はすでに射程圏内に入っている。
老化の仕組み「老化の情報理論」
老化とは情報の喪失に他ならない。生体内には2種類の情報があり、それぞれ全く異なる方式で符号化されてる。1つ目はデジタルな情報で、これはDNAを構成する基本単位の塩基部分にあたる。もう1つはアナログ情報で「エピゲノム」と総称される。これは親から子へと受け継がれる特徴の内、DNAの文字配列そのものが関わっていないものを指す。
私たちの体内の細胞1個1個にはすべて同じ遺伝情報がしまわれているのに、それぞれの細胞は何百種類もの異なる役割へと分化する。そのプロセス全体を調整しているのがエピゲノムだ。エピゲノムは、どの遺伝子のスイッチを入れ、どの遺伝子をオフのままにしておくのかを調節する仕組みと構造である。エピゲノムの情報がなければ、細胞はすぐに自らのアイデンティティを失い、新しく生まれる細胞もアイデンティティを喪失する。そうなれば、組織や臓器は次第にうまく機能しなくなって、ついには働きを停止する。
私たちは古いDVDプレイヤーのようなものだと考えられる。DVDの表面にひっかき傷がついただけなら、普通は情報を回復できる。それと同様のプロセスを用いれば、若返りも可能だ。私たちの細胞は若い頃のデジタル情報を高齢になっても保持している。若返るためには、傷を取り除く研磨剤を見つけさえすればいい。
ヒトゲノムにはこれまで二十数個の長寿遺伝子が見つかっている。これらの遺伝子は体内で監視ネットワークをつくっている。タンパク質や化学物質を血液中に放出することで、細胞間や臓器間で情報を伝達し合っている。長寿遺伝子の中でもサーチュイン遺伝子は、細胞を制御するシステムの最上流に位置し、私たちの生殖とDNA修復を調節している。
私たちのDNAは絶えず攻撃にさらされている。細胞が自らのDNAを複製するたびに、46本ある染色体のそれぞれが何らかの形で損傷する。DNAを修復する仕組みが体内に備わっていなかったら、到底長くは生きられない。だから生命は、DNAの損傷を感知し、細胞の増殖を遅らせ、DNAの損傷が治るまではその修復にエネルギーを振り向ける仕組み「サバイバル回路」を進化させた。
DNAが損傷するとゲノムが不安定になり、それがサーチュイン類の酵素を持ち場から離れさせる。するとエピゲノムが変化し、酵素が損傷を修復している間は細胞のアイデンティティと生殖機能が失われる。いわば、デジタルなDVDの表面にアナログな傷がつく。こうした、エピゲノムの変化こそが老化の原因である。
老化はリセットできる
老化を克服する解決策には「細胞のリプログラミング」というやり方がある。いわば細胞を初期のプログラムに初期化して、エピゲノムの「地形」を最初の状態に戻すことである。
2006年、幹細胞研究者である山中伸弥は、4つの遺伝子が成熟細胞をiPS細胞に変えることを発見した。この4つの遺伝子は「山中因子」と呼ばれている。山中因子は、あらゆる血液細胞や臓器、組織を培養できるようにするが、それだけではない。この種のリセット・スイッチを用いれば、人の細胞を培養皿で初期化できるだけでなく、全身のエピゲノムの「地形」を初期状態に戻すことができるはずだ。それは、例えばサーチュインを当初の持ち場に返すことでもある。そうすれば、老化の過程でアイデンティティを失った細胞は元の姿を回復する。これこそが、DVDの研磨剤だ。
生物における情報復元システムを突き止めるにはまだ10年はかかりそうだが、リプログラミングの研究は比較的短い期間で順調に進んできている。