読書の価値

発刊
2018年4月6日
ページ数
224ページ
読了目安
238分
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なぜ人は本を読むのか?
ベストセラー作家、森博嗣による読書論。
人はなぜ本を読むのか、本を読むことで何が得られるのか、といった読書とは何かを論じている一冊。

速読は意味がない

文章を読んでも、本当の意味は理解できない。意味が理解できた時に、初めて文章が読めたことになる。しかし、多くの一般読者は、文章をそのまま鵜呑みにしていて、その意味を自分の頭の中で展開していない。展開していなければ、つまりちらりと見た程度の体験となる。いわば、新幹線の車窓からの風景のようなもので、もの凄いスピードで流れていく。その風景は、どれほど頭に入っているだろうか。本を速読することは、ただ文字をざっと目で追っただけの体験であり、本当に「読んだ」とはいえない。

近頃では「読みやすい」本が人気がある。簡易な文章で、物語は速く展開する。しかし、文章を読んで、それを自分のものとして「展開」する行為が、本来の読書体験だったはずである。文章を読んで「わかる」というのは、多少は労力がかかる作業なのである。

何のために人は本を読むのだろうか?

人は、なぜ他者と話をするのか、なぜ他者を見るのか、他者を気にするのか、他者と知り合いになるのか、ということの理由と同じだ。社会には、自分一人が存在するのではない。たくさんの人間がいる。人は、社会という群れの中にあって、たくさんの人に出会う。話をし、議論をし、時には争いもする。

自分の行動は、自覚できる。しかし、他人の行動は、目の前にいなければ見ることができない。考えていることは、顔を見てもわからない。だから、他者に出会ったりした時に、話をすることになる。言葉でコミュニケーションをとる。つまり、自分の時間と空間内では経験できないことであっても、他者と出会うことによって、擬似的に体験できる。人を通して知ることができる。これが群れをなしている最大のメリットである。たくさんで集まっているほど、この情報収集能力が高まる。

この言葉によるコミュニケーションが、文字に代わったものが本である。結局、本というのは、人とほぼ同じだと言える。本に出会うことは、人に出会うことと限りなく近い。

本選びは、人選びと同じ

本選びは、結局は人選びであり、つまりは友達を選ぶ感覚に近いものだと思える。誰か面白そうな奴はいないか。こうした場合、2つの方向性が求められている。

①未知
あいつは、自分の知らないことを知っていそうだ。それを教えてもらおう、といった感じで本を選ぶ。

②確認
自分が考えていることに同調して欲しい。自分と同じものが好きで、同じ興味を持っている人と知り合いになりたい。

本の選び方で大切なことは、とにかく自分で選ぶことだ。人から聞いたから読むとか、誰かが勧めていたから読むとかではなく、自分の判断で選ぶこと。重要なのは、何を読むかという自分の「着眼」だ。

読書の価値

知識を頭の中に入れる意味は、その知識を出し入れするというだけではない。頭の中で考える時に、この知識が用いられる。物事を発想する時は、自分の頭の中から何かが湧いてくる。この時、全くゼロの状態から信号が発生するのではなく、現在か過去にインプットしたものが、頭の中にあって、そこから、どれかとどれかが結びついて、ふと新しいものが生まれるのである。知識を人に語れるからとか、そういった理由以上に、頭の中に入った知識は、重要な人間の能力の1つとなるのである。

発想というのは、連想から生まれることが多い。連想のきっかけになる刺激は、日常から離れたインプットの量と質に依存している。そして、その種のインプットとして最も効率が良いのが、おそらく読書だ。

本には日常から距離を取る機能がある。本を開き、活字を読み始めるだけで、一瞬にして遠くまで行ける感覚がある。時間を遡ることも容易だし、自分以外の人物の視点でものを見ることもできる。