孤独の価値

発刊
2014年11月27日
ページ数
182ページ
読了目安
178分
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孤独にこそ価値がある
人は、なぜ孤独を怖れるのか。作家の森博嗣氏が、孤独について考えられる事こそが、動物と違う人間の価値であると説き、孤独の価値について語っています。

孤独とは何か

孤独は寂しいものだ、という認識は一般的なものと言っても良い。人によって、どんな状態を孤独と表現するのか、これにはかなり違いがある。ある人は、友達がいない事だと言うし、またある人は、仲間と一緒の時に孤独を感じると言う。つまり、人が孤独を感じる時というのは、他者を必ず意識している。

 

そして、孤独や寂しさを感じるのは、ただ仲間がいないという状況からだけでなく、それ以前に仲間の温もりや友達と交わる楽しさといったものを知覚している事が前提条件となっている。つまり、孤独が表れるのは、孤独ではない状態からの陥落なのである。

 

寂しいという感情は「失った」という無念さの事だ。また、その失ったものが「親しさ」であれば、それが即ち「孤独」になる。失う事が寂しいというルーツは生存の危機だろう。ただ自分のもの、時間などが失われた時の喪失感が、寂しさや悲しさの主原因となる。

 

孤独を考えることに人間の価値がある

人間は、やはり群れを成す動物である。そういった自然の生態を持っているから、「賑やか」というような概念が生まれるのだし、逆に「寂しさ」というものがある。では、人間というものはそこから絶対に抜け出せないものなのか?

 

人間の社会がここまで発展を遂げたのは、本能よりも「思考」を重視したからだ。本能、つまり欲望を思考によって抑制する事が人間の人間たる部分であり、そこに人間の人間たる価値がある。

であれば、大勢がいて賑やかに感じる、周囲に友人がいると楽しい、そういった状況を求める欲望も、思考によって抑制できるはずである。ここに「孤独」というものを考える基本がある。これを考えられるだけの思考力を持っている事に、人間の尊厳がある。だから、「孤独は嫌だ」と感情的に全否定してしまう前に、ちょっと考えてみるという姿勢が大事だ。

 

寂しさの価値

どうして、我々の多くは孤独をそれほどまで怖れるのか。確かに寂しさは、自身の状態としてマイナスである。長く続くと、だんだん自分の存在自体が嫌なものに思えてくる。けれど、多くの人は、寂しい事が悪い事だという先入観で、必要以上に悪く捉えている。

 

「寂しい」というのは「静かで落ち着いた状態」という風にも言い換えられる。「静けさ」が大事な場面もある。ものを考える時には「賑やかさ」は邪魔になるだけだ。同様に、音楽を真剣に聴く、読書に浸る、絵を描く事に没頭するというのにも、静かな環境が相応しい。このように考えると、寂しさや孤独が、実は人間にとって非常に大事なものだとわかる。

 

寂しさがあるから、楽しさがある

そもそも「楽しさ」と「寂しさ」というのは、どちらかが存在するものではない。それは波のように揺れを繰り返す運動の上のピークと下のピークでしかない。楽しさがあるから、寂しさを感じるのだし、また、寂しさを知っているから、楽しいと感じるのである。どちらが悪いというものではなく、いずれも必要なのではないか。そして、どちらかに偏る事のない変化こそが、まさに「生きている」とい面白さ、醍醐味であって、苦しみの後に楽しみがあり、賑やかさの後に静けさがある、その変化こそが「楽しさ」や「寂しさ」を感じさせる。

 

孤独を怖れている人は、孤独がどれほど楽しいものか知らないのだ。これは、人生の半分を失っているというだけでなく、波の振幅が小さく、真の楽しさに至っていない状況だ。

「孤独」を感じた時には、それだけこれから「楽しさ」がある、という風に解釈すれば良い。それを知っている人が「さび」の世界に浸る事ができる。その余裕があり、それが「美」でもある。