始めたら最後までやり抜く
銀座「本店浜作」は、今でこそ当たり前になった「板前割烹」というスタイルを、初めて導入した店である。大正13年、大阪の新町で創業をした。その頃の料理屋と言えば、板前が数十人もいる大料亭が主で、料理は調理場で作り、それを仲居さんが部屋まで運ぶというスタイルしかなかった。しかし「浜作」は、カウンターのオープンキッチンをつくり、お客さんの注文に合わせて目の前で料理を作って出した。この新しい「板前割烹」というスタイルが受けた。その後、昭和3年に銀座に進出し、以来88年間盛況を誇っている。
この店に来る人達には、料理だけでなく、94歳になる大女将の笑顔に会いに来る目的がある。「どんなお仕事にも、辛抱はついて回る。辛抱やめたらあきませんね。続けていくことよね。そうしたらいつの間にか90を越えました」と。継続は力なりとよく言われるが、その裏にある辛抱の意味を知る人は少ない。辛抱への感謝を携えている人も少ない。大女将の笑顔に、多くの人が魅了されるのは、その奥底に辛抱への感謝が流れているからに他ならない。
上だけでなく下にも気を遣う
銀座のバー「らんこんと」は、実に気持ちのよいバーである。バーテンダーは気さくだが、馴れ馴れしくない。気持ちが真っすぐで、礼儀をわきまえ、酒に精通している事をほのめかさない。このバーのオーナーが「おしげさん」である。彼女の元から巣立ったバーテンダー達が、現在全国で6軒、バーをやっている。「大学を出て一流会社に入った子より、彼らの事を尊敬しています」と。彼らに諭してきた事は2つだという。
①当たり前のことをしなさい
②店の主人になった気持ちでやりなさい
こうした教育を受け、彼女のもとを巣立ったバーテンダー達は、全国で多くのお客さんを幸せにしている。だからこそ、今の「らんこんと」も居心地がいい。彼女に偉くなった方に共通する事は何かを問うてみた。
①偉くなられた方は、皆さん共通で明るい。物事を明るく捉えるがある
②仲居さんや一番下の人など、下々に気を遣う。そうじゃない人はだめになる
叱る時は愛を込める
立石には、ケンタッキーフライドチキンがない。それは立石に「鳥房」があるからだ、とまことしやかに言い伝えられている。立石近辺の住人は、物心ついた時から「鳥房」の鶏の揚げ物を食べている。通りに面した「鳥房」は、どの街にでもありそうな、鶏肉屋である。店の裏手が「若鳥唐揚げ」を食べさせる居酒屋である。店には開店前から行列ができる。
ここで気をつけねばならない事は、1人1皿(半身)を頼む事である。他で食べてきたからといって、2人で1皿なんて頼もうものなら「おとといおいで」と返されてしまう。女将さんと会話をすると、飲んできた事がばれてしまう。「あんた飲んできたね。うちは飲んでくる人は、お断りだと言ったでしょ」。そこで殊勝に謝ると「しょうがないわね」と許してくれる。この駆け引きがうまい。叱っておいて優しくする。押しと引きとツンデレを巧みに使って、客を虜にするのである。おばちゃん達の口は悪いが、根は優しい。この店で叱られてなぜか気持ちのいい余韻があるのは、そのせいかもしれない。
時間と手間をかけたものは伝わる
月島の「韓灯」の韓国料理は日本で1、2を争う味である。74歳になるオンマの料理は、母や祖母から厳しく教えられた、昔ながらの手間隙かけた真の韓国家庭料理である。それを忠実に作り続けている。砂糖は一切使わず、甘味には果物を使い、スープも恐ろしいほどの時間をかける。味噌も手作りで、添加物を加えず、旬の食材の味を優しく出す。
時間と手間をかけねば、生まれないものがある。それは先人達の英知を忠実に守り続ける、自然への敬意に満ちた味である。過剰な味付けは食材をだめにする。新鮮な内に使い切る。当たり前の事でありながら、現代の家庭料理から忘れられた、誠実な料理である。
基本を守りつつ新しさも加える
創業大正14年。「シンスケ」は学者や文士など粋人達に長く愛されてきた日本を代表する居酒屋である。客のほとんどが40代以上で、酔いすぎる事なく、大声を出す事もなく、整然と飲んでいる。
「正一合の店 シンスケ」とあるのは、日本酒を正しく一合量り売りしているという意味。関東大震災前までは酒屋だった。それゆえ独特のフォルムを持つ店の徳利は、一合きっかり入る特注品である。酒は創業以来、秋田の「両関」のみで、樽酒、純米酒、本醸造を、冷やか燗で楽しめる。
カウンターの正面上に張り出された白短冊の品書きは、代々受け継がれてきたもので、いずれも酒飲みのツボを心得た肴ばかりである。近年、四代目が加わるようになってから、少しずつ新しいメニューが増えてきた。「鶏もつのウースターソース煮」は、元々二代目夫人のおばあちゃんが作ってくれた味。そこに現代の調理科学を当てはめて、油を使わず低温調理している。
「これ見よがしに、新しく変える事には違和感がある。先代までが積み重ねた仕事を整え、歪な部分があれば正し、足りない部分があれば上乗せするのが次世代の仕事だと思っている」
四代目が店を継いでまず取り組んだのは、これまで店で出してきた数々のレシピを、味付けから食感、酒との相性まで再検証すること。そして、時代に合わせた調整が水面下で行われた。
「非日常のハレ場たるレストランと違って、酒場は日常的に訪れるケの空間。酒肴は奇をてらわず、あくまで見た目ふつうな定番がいい。そこに智恵と技術を込めるのが我々の仕事だと思っている」
古い料理をどこか新鮮に、新しい料理はどこか懐かしく、メニューの中にすっと溶け込んでいる。
「世の『完成されたもの』があるとしたら、時が経過しても古びないものだと思う。言い換えると、常に今現在において受け入れられ続けること。目標は『方丈記』であり、『いちご大福』である」
伝統を守る、老舗の味を引き継いでいくという事は、かたくなに安住することではない。変えない決意と変える勇気のバランスを取りながら、温故知新を考え続ける事なのかもしれない。