自分の休ませ方

発刊
2017年4月25日
ページ数
192ページ
読了目安
183分
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いつも忙しい方へ 禅的休養のすすめ
いつも忙しくしている人こそ、心からの休養が必要である。禅宗の僧侶である著者が、禅の教えを通して、休養の取り方を紹介している一冊。

一旦、立ち止まって、静かに坐る

禅には「七走一坐」という言葉がある。7回走ったら、一旦立ち止まって、静かに坐りなさい、ということである。そうすることで、自分が走っている方向は正しいのか、自分にふさわしい走り方をしているのかが見えてくる。つまり、自分を見つめ直すことができる。

走り続けていれば心も身体も疲れてくる。疲れている心では自分を正しく見つめ直すことはできない。立ち止まること、自分を休ませることは、フレッシュな瑞々しい心で自分を見つめるための大前提だといっていい。

走り続けていると、ともすれば惰性で歩を前に進めるということになっていたりする。それは確かな一歩と言えるか。時に自分を休ませて力をため、そこから踏み出す一歩こそ、確かな力強い一歩ではないか。そんな一歩ずつを踏みしめていくことで、人生は幸福で充実したものになる。

止まって、休んで、また進む

人生いつも先に、先にという意識でいたら疲れて、いつか息切れしてしまう。階段には必ず踊り場がある。その踊り場で一息つくから、長く続く階段も上がりきることができる。踊り場で立ち止まって、今上って来た階段を眺めると、新たな発見や気づきがある。それが次の階段を上がる際に役に立つ。

立ち止まることは自分を見つめ直すこと。自分の在り方、生き方を検証することと言っていい。そのことなしには、人生を正しく、自分らしく歩んでいくことはできない。自分を見失わないためにも、立ち止まるのがいい。

1つ1つの所作に心をのせる

禅では「行住坐臥」、全てが修行だと考える。歩くことも、とどまることも、坐ることも、寝ることも、一切合切が修行である。あらゆる立ち居振る舞い、動きの1つ1つが修行だから、粗末にしたり、ぞんざいに扱ったりして良いことは1つとしてない。どれもが「心をのせた」動きでなければいけない。それが禅の考え方である。

心を込めた所作、心ののせた動きは、ゆったりとして丁寧なもの。ゆったりと動くことでそこに心がのってくる。動きがバタバタとせわしなく速いものになっている時は、まず呼吸を整えること。すると、心が落ち着いてくる。

ほんの少し、歩調をゆるめてみる

ゆっくりと歩くと、周囲が見えてくる。感性が働き始めて、自然が感じられるようになる。ゆっくりと歩を進めていると、木々の葉の擦れ合う音や鳥のさえずり、花の香りや風の匂い、空気の冷たさ暖かさまで感じられる。自然の移ろいをそのまんま受け取ることができる。

自然の移ろいを感性いっぱいに受け止めることは、生きてる実感をヒシヒシと感じることにつながっていく。すると、幸せが心の底から湧き上がってくる。時にそんな時間を持ったら、人生はずっと瑞々しく、豊かなものになる。

雑念は雑念のまま受け流す

坐禅をしていて、いろんな思いが浮かんでくるのは仕方がない。それを「考えてはいけない」と追い払おうとするから、とらわれてしまう、縛られてしまう。浮かんできた思いも、考えも、放っておけばいい。放っておいたら、自然に消えていく。思いも、考えも、心を通り過ぎるだけで、決してそこにとどまって、心を縛ることはない。

1日の終わりに1つ静かに椅子やソファなどに坐って、しばし時間を過ごすといい。慌ただしくすぎていった1日を「自由な心」で締め括る。そんな習慣が人生をきっと潤いあるものにする。