獺祭 経営は八転び八起き

発刊
2025年11月14日
ページ数
274ページ
読了目安
295分
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推薦者

獺祭はなぜ成長できたのか
日本酒市場が減少していく中で、山口県の小さな酒蔵が、純米大吟醸「獺祭」を開発し、海外進出を果たすまで成功した要因は何だったのか。

獺祭の酒造りから、海外への挑戦など、多くの失敗を乗り越えながら酒造りを行ってきた獺祭の経営が紹介されています。日本酒の海外における位置付けや、酒蔵の抱える問題など、酒造経営のことがわかる内容になっています。

獺祭の酒造り

1984年に旭酒造を継いだ時、10年間で売上が1/3になっていた。1980年代に入って激化した酒蔵同士の販売競争で負け組になっていた。地元では売れない酒というイメージが定着している。その状況は東京市場の開拓へと駆り立てた。それが、普通酒「旭富士」の製造から純米大吟醸「獺祭」の開発につながった。

当時の酒造業界では、アルコール添加した普通酒が一般的で、50%以上も米を磨くような酒の市場も量産技術もなかった。「山口の酒が東京で売れるはずがない」と随分馬鹿にされたが、少しずつ仕入れてくれる先が増えていった。

 

すべてが順調だった訳ではなく、多くの失敗をしてきた。まだ四季醸造でなかった頃、酒造りのない夏場の仕事を求めて開いたはずの地ビールレストランがうまくいかず、「給料をもらえそうにない」と杜氏に逃げられてしまうという大失敗も経験した。仕方なく今の「社員が酒を造る」体制になった。そして、必然的に伝統的な冬場だけ酒を仕込む寒造り方式を捨て、冷蔵設備を整えて四季醸造に踏み込み、今の生産体制が出来上がった。

獺祭を気に入ってくださるお客様は徐々に増え、増産のためのあらゆる手立てを講じ、海外進出も図った。今では世界40カ国に輸出し、2023年にはアメリカで自社工場も稼働させた。当初、1億にも満たなかった売上は、現在195億円まで成長した。

 

生産量が大幅に増えても、酒造りの姿勢は変わっていない。高品質の山田錦のみを使い、自社の精米工場で平均精米歩合30%以下に高精白し、吸水率を厳密に管理するために人手による洗米を行う。麹造りも、人が作り、それをデジタルデータが追いかけて担当者の判断を助ける仕組みを作った。実は、昔の麹造り以上に人手が必要で、経験あるスタッフの判断がさらに問われる。

もろみを発酵させるタンクは一般的な酒蔵のタンクよりはるかに小さい3000ℓまたは5000ℓで、タンクの上下で温度や成分むらが出にくく、隅々まで人の目が行き届くよう厳密に管理している。発酵室全体を低温にすることで、冬場だけに仕込む寒造りではなく、通年造る四季醸造を可能にしている。

 

海外への挑戦

ワインが世界中で飲まれているのは、ヨーロッパだけでなく、アメリカやオーストラリア、日本と世界各地で製造されているからである。本当に日本の酒を世界の酒にするつもりなら、海外生産は必要不可欠である。

基本的に海外生産の清酒はアメリカや中国などいくつかあるが、安い価格帯を狙っている。あれでは安かろう悪かろうになってしまう。普通のアメリカ人で美味しいものに興味のある人が手を出せるような価格帯で、しかも彼らの味覚基準に耐えられる酒、つまりちょっと良いカリフォルニアワインに十分対抗できる酒をアメリカ市場に投入できれば、日本酒に対するアメリカ人の味方も変わり、市場が広がる。

 

2017年、アメリカで酒を造る決断をした。場所はニューヨーク州のハイドパーク。ニューヨークの中心部マンハッタンから車で2時間半ほどの場所である。ハイドパークには世界最大の料理学校で、アメリカで唯一学位を取得できるCIAがあり、そこから声をかけられたのがきっかけである。CIAは、日本料理の研究コースを設置しており、学生が実地で学べる酒蔵として獺祭を誘致したいとの申し出だった。

ブランド名は「DASSAI BLUE」。普通の獺祭より派手めで低アルコールの酒質を狙った。コロナ禍で中断して遅れていたアメリカの酒蔵は、7年がかりで2023年にオープンした。

 

なぜ獺祭は成長できたのか

山口県の山奥の小さな酒蔵が40年ほどで、なぜ大きく成長できたのか。獺祭がここまで来れたのは、日本酒業界が縮んだこともあるかもしれない。社会が大きく変わり、その変化にタイミングよく対応して変わることができたと言える。「こういう酒蔵になりたい」という理想があって、その方向に向かっていったのが大きい。

 

戦後、日本経済が発展する中で、農村の労働力は減り、酒を造る杜氏や蔵人も減った。大手酒造メーカーは機械化によって労働力の不足を補っている。地方の酒蔵で優秀な杜氏を抱えるところは、大量生産はできないけれど、地方の銘酒として残っている。でも、このどちらにも弱点がある。

酒造りの機械化は非常に難しい。日本酒はコントロールが難しい発酵形態で、機械化による品質の低下をどうカバーできるかが大きな問題になる。一方で、優秀な杜氏がいる地方の酒蔵は、生産量が増えないために商品力が上がらない。

 

そんな中で、杜氏が逃げてしまった時に考えたのが、酒造りを徹底的にデータ化して、それを見ながら社員が酒を造る形だった。機械ではなく人間が造っているため、微妙なところまでコントロールできる。圧倒的な負け組がどうしようもなくなってとった策が、ピンチを救ってくれた。