コミュニケーションの問題を言語だけの問題にしない
メルカリは多国籍な組織で、現在では約55ヵ国から多様な言語的・文化的背景を持つ人材が集まっている。従業員の3割は外国籍で、エンジニア組織に至っては6割近くを外国籍社員が占めている。
メリカリで最も重視されていたのは「社員同士の口頭のやり取り」である。しかし、「レッスンで難しい語彙や文化を学んでも、自席に戻ると隣の人に話しかけられない」という課題があった。そこで「身近な人とどうやり取りし、関係性を構築するか」という点に着目し、具体的な行動目標としてCan-doを設定することから始めた。Can-doを設定する際には「メルカリの社員が実際に遭遇する場面」を想定し、教材に使う語彙も実際に社員が使っているものを取り入れた。また、会話スクリプトを録音したリスニング教材も作成した。
このように行動中心のアプローチに基づいたレッスンを行った結果、学習者1人1人が目標達成に向けて「自分の持つ知識やスキルを総動員して、伝えるべきことを伝える」ようになり、タスク達成への姿勢が明確に変化した。
言語は仕事をうまく進めていくために重要な要素である。一方、言語の習得には数年単位の時間を要する。ビジネスの場でその言語を使って能力が発揮できるようになるまで、少なくとも3〜4年程度のコミットメントと意欲の継続が必要である。
コミュニケーションで何か問題が生じた時、その原因を「日本語が不十分だから」と決めつけてしまうケースが少なくない。しかし、実際には言語の運用能力ではなく、その人の母語の影響や文化的背景に由来する表現スタイルなどに起因する場合もある。
言語は相手とわかり合うために使うものである。言語を使って円滑にコミュニケーションを取れるかどうかは、話し手と受け手の双方に責任がある。相手の言語レベルを評価して一方的に負担を強いるのではなく、自分の使っている言語を観察し、必要に応じて調整する意識が大切である。言語学習のゴールもコミュニケーションの目的も、決して「完璧な言語を使うこと」ではない。
「やさしいコミュニケーション」を構築する
もっと意思疎通ができるようになるためには、学習者に対してのみ努力を要求するのではなく、母語話者も努力する必要がある。日本語教育プログラムの提供だけでは不十分で、採用プロセスの段階から「やさしい日本語」が必要になる。
「やさしい日本語」とは、日本語を母語としない人など、日本語でのコミュニケーションに困難を抱える人のために、使う語彙や文法、情報提示の仕方などをわかりやすく調整した日本語のことである。簡単な言葉を選ぶ、短くはっきり最後まで言う、擬音語、擬態語、二重否定は使わないなど、言語そのものを簡単なものにするだけでなく、相手に伝わっていないと気づいたら積極的に言い換えること、相手の理解を確認しながら会話を進めること、相手の完璧ではない日本語に寛容になることなど、話し手としての心構えを「優しい」コミュニケーションにするものである。
英語と日本語、どちらも高いレベルになるには長い年月がかかる上に、完全に困難がなくなるわけではない。そのため「日本語話者に対する英語教育」「英語話者に対する日本語教育」に加えて、両者がコミュニケーションに責任を負い、歩み寄って道の途中で出会うことを意図した「やさしいコミュニケーション」という3つをメルカリの言語教育の3本柱とした。
「やさしいコミュニケーション」プログラムの考え方の土台は、次の3点である。
- 英語が得意でない人、日本語が得意でない人が混在するチームで、お互いの苦労や困難に気づき、より良いコミュニケーションの方法を見つけること
- 日本語や英語の習得を目的化せず、コミュニケーションの本質を重視すること
- トレーニング中は、日本語話者が日本語で話すことも、英語話者が英語で話すこともOK。但し、全員が理解できる言葉を使うこと
日本語話者も英語話者も同じトレーニングに参加し、互いに議論する機会を設けている。ここではトレーナーが介入し、学習者の立場からは言いにくい言語についての困り事をトレーナーが一般化して母語話者に伝えることで、それまで気づいていなかったお互いの困難に気づくきっかけにしている。
トレーニングでは「やさしい日本語」で話すコツとして、以下のことを伝えている。
- 短く、はっきり、最後まで言う
- 曖昧な表現を使わない
- 誰が何をするのかはっきり言う
- 二重否定を使わない
- 尊敬語や謙譲語を使わない。丁寧語で話す
- 擬音語、擬態語を使わない
トレーニングでは、チームとしてどのようなコミュニケーションがベストなのかを共有し、それを実践することを重視している。特に強調しているのは「相手が理解していないと感じたら、自分の言葉を積極的に変える」という意識である。