社会を動かす「裏の原則」に目を向ける
25年前に書いた『ティッピング・ポイント』では、小さな変化が大きな変化につながり、社会的伝染病が起きるというメカニズムとして、次の3つの原則を挙げた。
- 少数者の法則
- 背景の力
- 粘りの要素
そして、社会的伝染病の原則をうまく使えば、犯罪率の低下、子供の識字率の向上、喫煙防止といった好ましい変化を促すことができると主張した。一方で、軽く一押ししただけで世界が動くなら、いつ、どこを押すべきか知っている人々は大きな力を持っていることになる。この裏側に目を向け、社会的伝染病について議論すべき時が来ている。私たちは社会を蝕む熱病や感染について理解する必要がある。
空気感によって社会的伝染病は拡散する
社会的伝染病は規則性のない、手に負えないものではない。社会的伝染病は「場所」と結びついている。そして、場所の力はコミュニティが自らに刷り込むストーリーがら生じている。コミュニティにはそれぞれのストーリーがあり、そのストーリーは伝染する。「ストーリー」というよりは「空気感」という言葉がぴったりだ。空気感ははるか頭上で形成され、大抵は私たちはその存在にすら気づかない。だが空気感は強い影響力を持ち、その下で生きる人々の行動を形づくる。
個体の差異が消失し、すべての生物が同じ発達経路をたどる環境を、生物学者は「モノカルチャー」と呼ぶ。社会的伝染病は、このモノカルチャーを好む。一糸乱れぬモノカルチャーの世界は、レジリエンスに欠ける。モノカルチャーには、外的脅威に対する内的防御が1つもない。一度壁の中で感染が始まれば、それを止めるものは何もないのだ。
そして、伝染性の思考には、コミュニティの境界で拡散が止まるという秩序がある。つまり、狭域差異は、空気感の差から生じているのだ。
意図的に集団内のメンバー構成は操作される
社会には、何か説明のつかない限界点とも言える人数があり、それを上回る集団とわずかに下回る集団では行動が全く違ったものになる。どんな集団でも、もとは取るに足らない存在であった異質な人々の割合が1/4から1/3に達したところで、劇的な変化が起きる。この現象を「1/3の魔法」と呼ぶことにする。1/3の魔法はありとあらゆる場所に出現する。
ティッピング・ポイントは意図せずに達せられることもあるが、様々な形で意図的に操作されることもある。現実には様々な人たちがこの手のソーシャル・エンジニアリング(社会的操作)に手を染めている。人は取締役会の女性の数、あるいは小学校のクラあすにおけるマイノリティの生徒の数を調整したいという抗いがたい欲求に駆られる。そして、それを陰でこそこそやろうとするのも不思議ではない。しかし、この誘惑は「個人のニーズと集団のニーズのバランスをどうとるか」という極めて困難な問いを伴う。
社会システムの健全性を保つには、私たちが水面がで動く人々のやり口を理解する必要がある。アメリカの支配階層において、ソーシャル・エンジニアリングは密かに重点活動の1つとなっている。
圧倒的少数者が社会的伝染病を拡散させる
私たちが直面する社会問題の多くは、本質的に非対称だ。つまり「肝心なこと」はごく少数の者が全部やってしまう。例えば、都市部の大気汚染は、どう見ても「少数者」が引き起こす問題だ。それにも関わらず、私たちはそれを全員が引き起こす問題であるかのように扱う。一握りの汚染者をやり玉に挙げるという非対称性の問題には誰も切り込みたくないのだ。「問題は我々全員の責任である」という立場から「問題は少数者が引き起こしている」という立場に転換するのは、非常に難しい。
新型コロナウイルス感染症の場合、空中感染するウイルスは、特異な生理的特徴を持つ一握りのスーパースプレッダーによって、拡散した。伝染病を広めるのに大勢の感染者は必要ないということだ。これは「圧倒的少数者の法則」である。これはウイルスだけでなく、社会的伝染病においても当てはまるものである。
社会的伝染病には原則がある。境界がある。伝染病は空気感に影響を受けるが、その空気感を生み出すのは私たち自身だ。ティッピング・ポイントにいつどこで到達するかは予測できる。伝染病は様々な人が拡散させるが、彼らを特定することは可能だ。伝染病をコントロールするための手段は、私たちの手の届くところにある。