一本の鉛筆
欲しいものがなんでももらえるなら、何がいい? 男の子は少し考え、胸を張って答えた。「えんぴつ」
バックパックの中には黄色い鉛筆があった。それを抜き出して男の子に渡す。鉛筆がその子の手にわたった瞬間、その子の顔がパッと輝いた。男の子はまるでダイヤモンドを見つけるように鉛筆を見ていた。その子は学校に行った事がなく、他の子が鉛筆を使っているのを見ていたのだと男達が教えてくれた。
世界中の多くの子供達にとってそれが現実だという事が、実感としてわかってきた。鉛筆のような小さなものが、子供の可能性を開くきっかけになる。
今、この時点で、教育に必要なものはすべて揃っている。それなのに、いまだに5700万の子供達が学校に行けず、読み書きのできない子供達がその他に数百万人も存在している。
ペンシルズ・オブ・プロミス
卒業後に非営利組織を立ち上げる計画を練っていたが、両親も先生も友人も止めさせようとした。経済学、社会学、公共組織と民間組織という3つの専攻をやり遂げたのに、それを活用する仕事につく事を周囲は反対していた。「一流企業に勤めるべきだ」とみんなが言う。「できるだけたくさん金を稼いで、40代か50代で世の中を良くする事に使えばいい」と。その言葉にしぶしぶ従う事にした。
憧れのコンサルティング会社ベイン&カンパニーから内定をもらった。何年か働いた後、何倍も稼げるヘッジファンドかプライベート・エクイティに行くつもりだった。そして充分な貯金ができたら、夢だった非営利組織を立ち上げるんだ。だが、先立つものと経験がいる。という事は、この先15年〜20年は金融業界で働かなければならないわけだ。「人生の中には、経験より金を選ぶべき時がある」ときっぱり言われた。
最初の数ヶ月は学ぶ事が多く、仕事は面白かった。しかし、一年目が終わる頃にはエクセルシートを1日12時間も見ていたら気が狂いそうになっていた。仕事そのものには情熱を持てなかった。クレジットカード会社の顧客獲得法を見直したり、大手保険会社の長期障害給付を調べたりする事には心が躍らなかった。
自分より大きな何か、他者の気持ちを動かす何かを始めたい。その願いが頭の中を巡り始めた。大きなアイデアは突然どこかから生まれると思っている人は多いが、実は小さなひらめきの積み重ねがブレークスルーにつながる。途上国で鉛筆をあげた時の喜びを思い出し、いつか学校をつくりたいと考えていると、突然ある名前が閃いた。「ペンシルズ・オブ・プロミス」
人生には、これからすべてが変わると感じられる瞬間がある。その瞬間に行動を起こさなければ、人生はそれまでと同じままだ。25歳までの4年間、誕生日には毎年カンボジア児童基金のために資金集めのパーティを開いていた。今年は5000ドルを集め、もう一度パーティを開けば、学校が1つできる。エクスターンシップを利用して組織を立ち上げ、ベインに戻って仕事のかたわら組織運営を続ける。数週間後、法人登記を行った。
毎晩遅くまで、ラオスで教育に関わっている人をオンラインで見つけてはメールを送っていた。旅をする中で東南アジア、特に最貧国のラオスとミャンマーに惹かれていたのだ。現地の組織や教師、ツアーガイドなどに手当たり次第連絡をとり、学校を建てたいと訴え、パートナーシップ、協力、指導を仰いだ。数週間狂ったように現地とのつながりを探し求めていると、「子供達に選択を」という組織を設立していた元銀行家のドリという男からメールが届いた。ドリはパートナーとなり、教育省に紹介して第一号の学校作りを手伝ってくれる事になった。夢を言葉にすれば、未来を引き寄せる事ができる。