心のスペースを縮め、五感を意識する
多くの人が単なる自分の思い込みによるネガティブな感情に苦しんでいる。その問題の背景は、多くの人が心の柔軟性を失っていること、自己の捉え方が凝り固まっていることに行き着くのではないか。思考回路が硬直すれば、視野も発想の幅も狭まり、他者を思いやる余裕が失せ、時には排他性が芽をふく。
「自己肯定感の低さ」も原因はそこにある。今までにやってきたこと、守ってきたこと、信じてきたことを、練るだけ練って固めた何ものかを、頭の真ん中に据えて、それを「自己」だと決めつけていないか。極めて狭いスペースに閉じ込めた、まるで梅干しの種のようなそれは「自己」というより「自我」と言える。
心のコリをほぐすにはどうすればいいのか。禅的な対処の第一は「心を自分の真ん中に置かない」ことである。そもそもの間違いは、心をまるで自分という人間の本体であるかのように仰ぎ奉ることにある。
多くの人は「あなたの自己はどこにありますか」と問われた時、頭の真ん中、胸のあたりに意識を向ける。この無意識の反応を意識的にやめること。右でも左でも、上でも下でもいいので、まずはとにかく心の位置をずらす。そして、ぽっかり空いた「主役の座」には、全身を覆う感覚器官からの情報を満たす。五感を思い切り開いて、入ってくる情報をじっくり味わい、たった今、「自分はどういう状況を生きているのか」を捉えるのである。
普段はあまり気にしない感覚情報を深く味わうことを意識するだけで、気持ちがぐんと楽になる。感覚の豊かさを自己の一部として感じれば、心に少しくらい否定な成分があっても「まあいっか」と肯定できる。
仏教では、人間の認識のよりどころを「六根」と呼ぶ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識の6つ。五感+心である。そして特別に心を重く扱ったりしない。自己を充実させる上で重要なものというより、「要注意」なものとして扱う。
自己の領域を広げる
頭だけに閉じ込めていた自己が全身に広がった実感をほんの少しでも得ることができたら、次にはそのエリアをさらに意識的に広げる。身体と外部とを分けている境界線を意識的に取り払い、外にあるものも自己の一部として迎え入れる感覚である。たとえば、お風呂に浸かり、しばらくするとお湯と身体の境目が曖昧になっていくような感覚である。
イメージすることに慣れれば難しいことではない。梅干しのように凝り固まった自分が、いくつもの小さな種を全体に分散させたトマトに切り替わることを、繰り返しイメージする。
梅干しに歯を立てた時のガリっと来る感じと、真っ赤に熟れたトマトのジューシーな食感をできるだけリアルに思い描くといい。梅干しからトマトへの変化を実感を持ってイメージできるようになる頃には、肩のあたりが軽くなったことに気づく。
ここで大事なのは、梅干しを頭から否定せず、その美点を改めて確認することである。1つの信念を頑固に守り通して核となる強みを固めていく梅干し的な生き方は、それはそれでリスペクトすべきである。しかし特に多様性と柔軟性が求められるこれからの時代は、生きづらさが増すのではないか。
この頑ななまでの一貫性の対極にあるのが、トマト的な生き方である。熟れたトマトならお年寄りでも子供でも、思い切りかぶりつける。固い1つの種を真ん中に据えるのではなく、小さな種があちこちに散らばりすぎているのは、どこが核となるのかわからない弱みとも言えるが、「多核的」だからこその強さもある。小さな強みが束になることによる総合力である。
他者を優しく受け入れるトマト的な柔らかさがあれば、外面的なイメージはその都度変えながらも、自分の本質をしっかり保つことができる。
問い続けることで我を忘れる
経験は一度味わうと、元の人生とは違う状態を歩んでいくことを指す。人生の経験値を積み上げていくことに集中すれば、短期視点での損得や利害関係にとらわれることなく人生を歩んでいける。
この経験を邪魔するのが、思い込み、知ったかぶり、恐れなどである。それを取り去る方法が、次のステップである。
- 検索ではなく自分で考える探索
- 批判するのではなく表現する
- 正解を求めるのではなく、実験の機会を求める
- 執着するのではなく、他人へ展開していく
探索→表現→実験→展開と段階を追って思考を深める過程は、禅的思考の1つと言える。禅的な思考の核心は「問う」ことにある。答えが出ようが出まいが、問い続ける。突き詰めれば「我を忘れる」境地に至るこのプロセスが、自分の枠を取り払い、心の幅を広げ、発想の自由度を高め、人生を豊かにする。
自分にたくさんの問いを浴びせることは、たくさんの視点を手に入れることと同じ意味を持つ。それは小さく凝り固まった「我」から離れ、多くの自分を認め、受け入れることにつながる。今までの確固たる自分がほぐれ、柔らかくなり、いわば「多我」化していく。さらに進んだ先に、忘我、やがて無我がある。