古びた未来を壊す
未来はいつも目の前にあって、自由に触ったり、いじくって変形させたりできる。しかし、皆そのチャンスに気づかずに平々凡々とした日々を送っている。それは、目の前に「古びた未来」が立ちはだかって視界をふさいでいるからである。
「古びた未来」には3つの意味がある。
- 固定観念でガチガチの未来
- いったんレールが敷かれた未来
- 一部の人が決めた未来
こうした古びた未来に囲まれていると、ブッ飛んだ未来像が生まれにくくなる。自分だけのオリジナルな未来像を考えるのが難しくなる。この状況を打破するには「ハズレる未来予想」を作ったり、使ったりすればいい。
ハズレる未来予想を作るには、ストーリーの力を使う。「ハズレる未来予想」という新しいストーリーの力で「古びた未来」を書き換えていくのである。「未来」は「今」にとって常にフィクションである。そもそも細部まで当たる未来予想なんて1つもない。
それなら、未来を「今の続き」と考えず、最初からフィクションとして発想してみる。フィクションをテコにして、一旦「今」のくびきから離れて未来にジャンプすること。今一番一発ブチかませるのは、この飛躍である。そこにあるのは、ないことにされてきた選択肢や見えなかった選択肢である。
古びた未来を書き換える「SF思考」
未来を発明することにかけては、SFというジャンルがそのプロフェッショナルである。SFでは最新の科学的知見を盛り込んだ難解でハードなものから、ファンタジーやホラーに近いものまで、非常に幅広い世界観を取り扱う。だからこそ、「別様の可能性を描く」という共通点が際立つ。
現実の延長線上にないアイデアを楽しみ、そこからあり得る未来の可能性を取り出して示し、実現の道筋を描く。これがSF思考の真骨頂である。
このSFの力は、どう使いたいかによってアプローチが変わる。その方向性は2つある。
①とにかく「ブッ飛んだ未来像」を考えたい:SFプロトタイピング
フィクションの力を活用し、斜め上の未来ビジョンの試作品を創作・議論・共有する手法を「SFプロトタイピング」という。それは、次の3つの要素を備えている。
- 未来像や別様の可能性を「フィクション」の形式で作り出すこと
- 作品制作が最終目的ではなく、別の目的を持ってSF作品を作ること
- クリエイター以外の専門家が関与して創作が行われること
SFプロトタイピングは、次の2つのステージに分けることができる。
- 未来ストーリーを「つくる」:世界観とプロットをざっくり考える
- 未来ストーリーを「あらわす」:世界観とプロットを「SF作品」に仕上げる
②未来像をもとにして、「今やるべきこと」を考えたい:SFバックキャスティング
SFのようなブッ飛んだ未来像も、要素を分解し、そこから逆算して「やるべきこと」「できること」を考えていけば、現実に役に立てられるし、未来も変えられる。未来や現実を実際に変えていくためには、フィクションを起点にした「バックキャスティング」のプロセスが欠かせない。これを「SFバックキャスティング」と呼ぶ。それは、次の3つの要素を備えている。
- 未来ストーリーを参考にして「今やるべきこと」を考えること
- 単にビジネス的に逆算するのではなく、逆算のプロセスでもSF要素を介すこと
- フィクションを要素分解し、一部でも現実化して社会を変えようとすること
SFバックキャスティングも、次の2つのステージに分けることができる。
- 未来ストーリーを「つかう」:フィクションを要素分解し、現実とのリンクを探す
- 未来ストーリーに「なる」:フィクションから生まれたアイデアを現実化する
SFプロトタイピングとSFバックキャスティングは、別々のものとして取り組むのではなく「未来ストーリーをつくって、あらわして、つかって、最後に自分がそれになる」というサイクルを回せるようになれば、自由な発想が広がり、自由な行動が広がっていくようになる。
SF思考の実践で大事なのは「SFマインド」を持つことである。SF思考は「未来を創造するための手法」とよく言われる。そのため「望む未来」「ありたい未来像」を描くものだと思っている人が多い。
しかし、せっかくフィクションでプロトタイピングするなら、できるだけ「ありたい未来」でない方がいい。「ありたい未来」を避けた方がいい理由は、発想が遠くに飛びにくいこと。「未来がこうなってほしい」と考える時点で、願望が入ってしまうからである。
SF思考で重視すべきは「ワクワク」より「ドキドキ」である。そこで、アイデアを出す時には、次のことを意識するといい。
- みんなが共感して盛り上がるアイデアは捨てる
- 「これ、やってる人いそう」と思えるような現実的なアイデアは捨てる
- 人にバカにされたり、笑われたりするアイデアは積極的に拾う
大事にするのは、共感より違和感である。