失敗は成功以上に技術の進歩をもたらす
設計、すなわち、これまでには存在していない何ものかをつくる、という考えが、エンジニアリングの中核にある。エンジニアリングを理解する上の核心は「失敗」だ。失敗を避けることが、エンジニアリングの最大の目的だからだ。だから、凄まじい大惨事が起こったら、それは、つまるところ設計の失敗である。だが、そういう惨事から得られる教訓は、世界中で破損することなく使われている機械や構造物を全部合わせたよりも、ずっとエンジニアリングの知識を進歩させるのに役立つ。
事実、失敗がきっかけとなってはじめて、成功事例が次々と積み重ねられるようになり、その結果、安全のためのゆとりを多めにとるようになり、その結果、新たな成功の時代がやってくる。
過ちは避けられない
エンジニアリングが主目的としているのは、もとあるがままの世界ではなく、エンジニアリング自身が創り出す世界である。それは一定した世界ではない。人間の構造物というものは、たえず急速に進化しているからである。人間の好みや資質や野心は、決して一か所にとどまってはいない。エンジニアが作る構造物の設計と解析には、進歩のない自然の構造物よりも、はるかに多くの観点が必要となるのであり、また、たえず変化しているということは不祥事が起こる機会もはるかに多くなることを意味する。エンジニアリングは人間の営みである。だから誤ることがある。
エンジニアリングとは仮説である
エンジニアリングは科学であると同時に芸術である。新しい構造物の設計を構想するという行為には、経験と知識の総合だけでなく、想像力の飛躍が含まれるのであり、そのことは、あらゆる芸術家がカンパスなり原稿用紙なりの上にもたらすことを求められているものと同じである。一方、一旦設計が作り上げられたならば、その設計は厳密に解析されなければならない。
エンジニアは各種の原因を仮定して、自分が設計しようとする構造物には、重力以外にいかなる力が作用することになるかを、可能な限り予想することを覚悟しなければならない。
その仮説は年の改まるごとに確認されることになる。とはいえ、元の計画に述べられた何年間というものが経過するまでは、仮説は実証されたことにはならない。しかし、その何年間が経過する以前に、何ら異常な条件もないのに、構造物が崩落しようものなら、元の仮説が議論の余地なく誤りであったことは疑いえない。
エンジニアリングにおける設定の過程は、これこれの部分の組み合わせが、破損することなく、所望の機能を果たすであろう、という仮説の連続であるとみなすことができる。
エンジニアは仮説を立てる時に、計算をする時に、結論を下す時に、誤りを犯す。エンジニアが誤りを犯すことは許されてしかるべきだが、その誤りを見つけることは必須である。だから、自分自身の仕事をチェックする能力を持つだけでなく、自分の仕事を他人にチェックしてもらうこと、他人の仕事をチェックする能力を持つことは、近代のエンジニアリングに不可欠なことである。
このことが行われるためには、エンジニアの仕事はある約束に従って行われなければならず、ある標準に合致していなければならず、また仕事の結果はエンジニア同士の間の意思疎通で理解可能な形になっていなければならない。設計とは想像力の飛躍であるから、エンジニアリングの解析がエンジニアという職業の共通語にならなければならないし、解析の結果得られた結論が異なっている場合、その間の調停者となるのはエンジニアリング・サイエンスの方法でなければならない。