「リアル空間のデジタル化」と「デジタル空間のリアル化」
人間の営みは、物質の世界と情報の世界にまたがっている。物質の世界では物を作ったり運んだりする。また、治療したり介護したりといった他人の身体に対する働きかけも行う。情報の世界では、言葉を使って情報のやり取りをし、頭を使って情報を処理している。
情報革命のポイントの1つは、人間がこれまでアナログで行っていた情報のやり取りや情報処理が、デジタル化された点にある。IT革命では、PCとインターネットが普及し、あらゆる人間同士のコミュニケーションがデジタル化されてきた。それが、AI革命では人間の頭脳に代わりにAIが情報処理を行うようになる。そればかりでなく、物理的な物をデジタル技術が操作するようになる。それが「スマート化」と呼ばれるものである。これからは自動車、住宅、工場、街もAIによってコントロールされるようになるだろう。こうした物質の世界にあるものをデジタル技術がコントロールするようになるのが、IT革命とAI革命の異なる点である。
実空間がAIやIoTなどによってどんどんスマート化されていく流れとは対照的に、森羅万象をデジタル化するという究極の姿がメタバースである。視覚や聴覚情報などの情報処理の対象のデジタル化とコミュニケーションのデジタル化は、いずれもメタバースへと集約されていく。
これからは、実空間をデジタル技術によってコントロールし、住み良い社会にしていくスマート社会の方向と、実空間を捨てメタバースの世界に移行し、そちらのリアリティを高めていく方向の2つが双対となって進んでいく。
スマート化社会の経済
AIやロボットによる生産活動の自動化の果てにやってくる経済を「純粋機械化経済」と呼ぶ。そこでは直接モノを作るのは労働者ではなく、AIやロボットを含む機械である。純粋機械化経済は、2045〜2060年くらいに実現するだろうと予測している。
純粋機械化経済の時代が到来しても、人間が全く必要なくなるわけではない。次のような仕事は残り、中でもクリエイティビティ系が中心を担う。
- クリエイティビティ系:新しい技術を研究開発したり、新しいビジネスや商品を世に送り出したりするような仕事
- マネジメント系:店舗や工場、人材などの管理を行う仕事
- ホスピタリティ系:介護、ホテルマン、インストラクターなどAIやロボットには難しいサービスを提供する仕事
純粋機械化経済では、ロボットなどの機械を設置するために、機械化経済以上に多くの資本を必要とする。そこで、資金を提供する資本家がより大きな力を持つ。
メタバースの経済
純粋機械化経済は、基本的には実空間の経済である。一方のメタバース内の経済「純粋デジタル経済」は全く異なるものになる。これはデジタルな財・サービスのみが供給される経済である。メタバース内では、デザインしたら生産活動は終わりで、物質的なモノを製造する必要がない。その特徴は次の6つである。
①資本財ゼロ
メタバース内の経済では、生活活動に必要な財「資本財」をほとんど必要としない。物理的なロボットや機械設備といった資本財を必要としない分、資本家は大きな力を持たない。但し、資本財がほとんど必要ない経済だから資本主義ではないとは言い切れない。メタバース内であっても、プロジェクトを進行させる場合、ある程度の資金が必要となる。
②限界費用ゼロ
メタバース内の経済では、生産量を増やす際に追加的にかかる費用「限界費用」が、ゼロに近くなる。アバターやデジタルな洋服など1回デザインして作ってしまえば、あとはいくらでもコピーできるからである。
③独占的競争
独占的競争とは、それぞれの会社や事業者が差別化された財を提供していて、その財同士にある程度の代替性があるような状態のことである。アバターや洋服は差別化された財であって、独占や寡占は起きない。
④供給の無限性
いくらでも無料でコピーできるということは、無限に複製できるということである。独占的競争状態にあるデジタルコンテンツは、複製が供給者にのみ可能であれば、一定の価格を設定することによって販売することができる。
⑤空間の無限性
いくらでも無料で広大な空間を設けられる。そのため、メタバースの中で、駅前の一等地のような概念が根付くかは微妙である。
⑥移動速度の無限性
メタバースでは瞬時にどこへでも移動可能である。現状のメタバースでは、瞬時に移動できる機能は制約していないケースの方が多く、そうなると、駅前の一等地というような概念は成立しづらくなる。
メタバース内の経済では資本財をほとんど必要しないクリエイター中心の経済であり、資本家の優位性が崩れることになるので、資本財の購入に多額の資金が必要という資本主義の特徴が揺らぐ。但し、メタバースが普及しても、その外のスマート社会と法定通貨によって取引される既存の経済圏は相変わらずであるため、資本主義が崩壊し、社会主義になるわけではない。