切り捨てSONY リストラ部屋は何を奪ったか

発刊
2015年4月10日
ページ数
274ページ
読了目安
335分
推薦ポイント 6P
Amazonで購入する

Amazonで購入する

ソニーのリストラ部屋の実態
業績不振から抜け出せないソニーのリストラの実態を追ったレポート。これまでに大規模なリストラを6度行ったが、今なお復活の道が見えないソニーの暗い歴史が紹介されています。

リストラ部屋

ソニーのキャリア開発室、通称「リストラ部屋」の源流をたどると、中高年社員対策として1985年にスタートした「能力開発センター」に行き着く。職場で持て余し気味の中高年(人事担当者は「職場にフィットしない人々」と表現する)の社員を集め、雑用を与えながら転職支援を行っていた。

 

初めの頃、彼らはグループ会社に送り込まれ、電線工事や社内のビデオ作成、総務という何でも屋、清掃業務など、そのキャリアや給与に見合わない仕事をさせられた。しかし、合理化が進み、グループがスリム化するとグループ会社でもさばききれなくなった。

それでも簡単に解雇する訳にはいかない。整理解雇するには、人員削減の必要性と合理性が存在しなくてはならないのだ。その上に、ソニーには「We are family」の言葉に象徴される家族主義と、創業者達が唱えた「リストラ不要論」があった。

 

ガス室

創業者達が第一線を退くと、いつの間にか、能力開発センターの看板は取り替えられ、1996年に「セカンドキャリア支援」事業が始まる。2001年になると「キャリア開発室」が設けられ、入ってくる社員には雑用すら与えられなくなる。そこに送り込まれた社員は自らのコネで社内の受け入れ先を探すか、早期退職して転職先を見つけるか、あるいは何と言われても居座り続けるかの3つの道しかない。

 

社員からは「追い出し部屋」と呼ばれ、追い出される側には「ガス室」と呼ばれた。新たな仕事は与えられずそこに一日中、閉じ込められている。大半が終日、語学を勉強したり、ネットサーフィンをしたり、新聞や雑誌を読んだりしている。リストラ部屋では1ヶ月に1度、キャリア開発室長らとの定期面談が行われ、退職加算金や転職支援会社の紹介を組み合わせた優遇案を提示し、じわりと説得にかかる。

 

上司とそりの合わない者や「とんがった」エンジニア等はしばしば人員削減のリスト候補に挙げられる。能力の劣る社員だけがリストラの対象になる訳ではなかった。

 

終わらないリストラ

ソニーのリストラは、セカンドキャリア支援から数えて、17年以上、今も続き、2015年までに、6度も大規模な人員削減が行われている。

1999-2000年:経営機構改革 17,000人
2003-2006年:トランスフォーメーション60 20,000人
2005-2008年:中期経営方針 10,000人
2008-2010年:エレキ強化と収益改善 16,000人
2012-2013年:新経営方針 10,000人
2014-2015年:PC・TV事業変革 5,000人
2015年-:モバイル・コミュニケーション 追加削減2,100人

 

これまで目標削減数は総計で8万人を超す。リストラとは本来、成長戦略につなぐ事が目的のはずだ。しかし、この間どんな成長戦略が描かれ、何が達成されたのか。リストラの発表からしばらく経つと「想定以上の市場縮小や外部環境の変化」という言葉が持ち出され、再びリストラが実施される。

 

これまでリストラ部屋には少なくとも3000〜4000人が送られたと推測できる。それだけの人々が無能揃いだった訳がない。部下の個性と能力を知り、その業を生かすのが管理職や会社の仕事だ。リストラ部屋行きを通告する事で、その務め自体を放棄しているのだ。同社にとって誤算だったのは、評価の高い部員達が進んで辞めようとした事だ。辞めて欲しい者ほど会社にとどまろうとし、有能な人材ほど沈みゆく船から脱していく。

 

出井伸之、ストリンガー、平井一夫の系譜で語られる「ソニー構造改革」。その特徴は、短期的な決算対策を重視し、膨大な資産と人材、そしてリストラ資産を失った事だ。