ダボス会議の本質
「ダボスマン」とは、グローバル化によって豊かになり続け、その仕組みを熟知しているため、もはや国家に帰属しなくなった集団だ。国境を超えて流通する利益と富を手中にし、世界中で不動産やヨットなどを所有する。お抱えのロビイストと会計士たちを国内の法制度に縛られないように活動させ、特定の国家への忠誠心など持たなくなった者たちのことだ。
2004年に「ダボスマン」という造語が考案された時は、世界経済フォーラム年次総会に毎年出席するため、ダボスに出かける者たちのことだった。この会議で討議に加わることそのものが、現代社会における勝者としての地位の証明となってきた。しかし歳月を経て、ダボスマンという言葉は、地球をまたにかける階級の最上層、つまり億万長者たちを束ねた呼び名として、ジャーナリストや学者が使うようになった。ダボスマンの影響力は政治の世界にも強く及び、彼らが推し進めてきた考え方が、先進経済諸国のほとんどで決定的な力を持つようになった。利得のほとんどを享受してきた者たちがさらに繁栄できるような形でルールを整えさえすれば、どんな人でも勝者になれるという考え方だ。
形式上は、世界経済フォーラムは、現在の様々な課題にまじめに取り組むための、数日間にわたるセミナーだ。そこでは、気候変動、ジェンダー間の不平等や、デジタル化の将来などが真摯に討議される。フォーラムは高尚な責務を知らしめようと、「世界の現状を改善する」と掲げている。
2020年総会の参加者たちの資産合計は、5000億ドルに達すると見積もられている。このフォーラムの舞台裏は、ビジネス上の契約や戦略的なネットワーク作りのための場と化している。出席者にとってみれば、分断された人類の勝ち組に入れたということを互いに祝福し合う機会なのだ。
世界の富を収奪するダボスマン
我々が暮らす世界はダボスマンによって設計され、ダボスマンにさらに大きな富をもたらすように仕組まれている。億万長者たちは、政治家には献金をあてがい、既に特権を享受している者の地位がますます高まるような状況を擁護させる。金融規制を逃れるためにロビイスト集団を雇い、銀行が野放図なギャンブル同然に貸付できる状況を整えてきた。にもかかわらず、自分たちが損失を出すと尻拭いさせた。大企業は寡占の支配的地位を得た。労働運動の力を押し潰し、賃金を減らし、利益を株主たちに手渡してきた。
ダボスマンは、いくばくかの金銭を慈善事業に寄付しても構わないという姿勢をとっているが、あくまで、自分が定めた条件が満たされる場合だけだ。
第二次世界大戦の終結から30年間は、米国が主導する資本主義が、経済成長の果実を幅広く、前向きな形で共有した。しかし、ダボスマンが乗っ取ってからの資本主義は、実際には資本主義でも何でもない。最も福祉を必要としない人々に特典が与えられている。社会全体として脅威に対抗する費用が必要な際は、納税者の金が充てられる。失業、差し押さえ、医療の無保険状態といった凡人たちの苦難は、自由主義経済につきものの浮沈なので受け入れるべきだとされる。
こうした極端な格差は、驚くべき水準に達している。過去40年間でアメリカ人の内わずか1%の最富裕層が、総計で21兆ドルの富を獲得した。同じ期間に、下半分の層の資産は9000億ドル減少した。米国の総収入が第二次世界大戦直後の30年間と同じように分配されれば、下から9割の層に入ってくる所得は全部で47兆ドルも増えていたはずだ。
富を収奪するダボスマンを正せるか
2020年のパンデミックにあっても、ダボスマンは、これまでにない繁栄を享受した。彼らはパンデミックを食い物にした。公衆衛生システムを搾取し、政府のリソースを奪って状況を悪化させた。
地球上で最も豊かで、最も権力を持つその男たちは、富と影響力を行使して、パンデミックから遠く離れた海岸沿いの豪邸や山あいの隠れ家リゾート、あるいは高級ヨットの中にとどまって災難を切り抜けつつ、不動産や株式、会社を買い叩いた。さらに、政界に対するロビー活動で影響力を及ぼし、納税者の金でまかなわれる緊急支援策を、自分たち超富裕層のための福利厚生制度へと変質させた。
資本主義経済の利得を民主的かつ公正に一般大衆へ還元せよという要求をかわし、政府の規制をも封じる先制攻撃の道具としてダボスマンが推奨したのが、ステークホルダー資本主義だ。政府は億万長者に課税する必要はない、なぜなら富める者たちは善行を通じて、人々が暮らす上での様々な問題を解決できるというものだ。
バイデン大統領も選挙ではダボスマンから政治献金を受け、政権内にはダボスマンの代弁者が入り込んでいる。それでもバイデンは支持基盤の中道層に訴えて、大企業の既得権益に切り込む意欲を見せている。米国経済のあり方を変え、最富裕層による長年の収奪を正そうとしている。