急激な加速による発展の弊害
私たちは過去1世紀にわたって「グレート・アクセラレーション」を経験してきた。地球上で起こる事柄は、何もかもが急激に加速し、特に劇的な変化が生じたのが、この20年である。その最も大きな影響の1つが、人々がオンデマンドな生活様式に慣れ切ってしまったことだった。プラットフォーム・エコノミーによって、多くの人がほぼあらゆる製品やサービスをボタン1つで簡単に呼び出せるようになった。企業は競争で優位に立とうと、ユーザーが次に思いつくであろう望みや気まぐれを、当人すら気づかないうちに予測しようと躍起になっている。
成長は苛烈を極めた。そして今、一部の企業は多くの国の国内総生産を上回るほどの四半期収入を上げている。さらに個人の富も企業の力と、マネーサプライの増加、市場の力学によって急増した。
スピードと成長を勝利と捉えるのは、人間の性である。そして、活況と豊かさはしばしば成功と結び付けられる。但し、人間はその利益がどのようにして、何を代償に生じたものなのかを、深く考えようとしない。
急速なグローバル化と目覚ましい技術発展によって、貧富の差は近年憂慮すべきペースで拡大している。いまや世界の上位1%の富裕層が、それ以外の99%の人が持つ総資産の2倍にのぼる富を有している。労働経済学者アラン・クルーガーは、現在の格差は未来の格差を引き起こすと主張している。深刻な富の格差は、少数の人々に金と権力を集中させてきた発展によって、多くの国では人種格差も助長されている。広がりゆく格差はマクロ経済の安定性に大きな打撃を与え、社会に悲惨な影響をもたらす。
環境もまた間違いなく、グレート・アクセラレーションによって犠牲となったものの1つである。温暖化の大部分はこの40年の間に進んでおり、各期間の最高気温の多くが2014年以降に記録されている。その主な原因が、二酸化炭素をはじめとする人為的なガス排出である。私たちのライフスタイルや習慣を支える燃料を得るため、世界は1990年から2016年にかけて、およそ130万平方キロメートルもの森林を失っている。これは南アフリカの総面積にほぼ匹敵する広さである。
グレート・アクセラレーションがもたらす副作用の中には、いまだ広く対策がとられていないばかりか、タブー扱いされているものさえある。テクノロジーの圧倒的な普及は、世界中の職場に「常にオンである」メンタリティを生み出し、心の健康を害する人が急増している。
コロナ禍以前の段階で、既に世界では推定2億7500万人もの人々が心の病に苦しんでいた。これは世界人口の約4%に相当する。
武士道の精神を企業の価値体系の中心に据えよ
資本主義がもたらした進歩の物語は単なる一面に過ぎない。持続可能であるためには、資本主義の再構築が不可欠である。もはやビジネスリーダーは、深刻な気候変動を招くと知りながら、やみくもに利益だけを追い求めるわけにはいかない。根深く痛ましい格差を解消するために力を尽くす義務もある。
これまで用いられてきた成功の尺度や、業績と成長を測る指標は、はたして今もまだ現実に即した適切なものなのか。それとも、これらの物差しは時代遅れで頼りにならず、それが問題の一因となっているのか。私たちは、この点を自問しなくてはならない。
正しい道への軌道修正は今からでも決して遅くない。私たちは今、上昇カーブが下降へと転じる変曲点に直面している。グレート・アクセラレーションの後にやってくるのは、新型コロナウイルスによる未曾有の「強制された一時停止」の時代である。これは私たちにとって、考え、再建し、再構築するための貴重なチャンスでもある。
コロナ禍から学ぶべき最も重要な教えは、優先順位を決めることの大切さである。世界中のビジネスが急停止したことで、私たちは誰もが想像上の「鏡」をじっと見つめ、自分にとって大切なものは何かを見直すことを迫られた。近年、「パーパス」、すなわち企業の存在意義というものが盛んに論じられるようになった。
ビジネスの、資本主義の最終的なゴールは、すべての人の生活の質を何らかの形で向上させ、より多くの人に幸せを提供することである。現行の資本主義の大きな欠陥の1つは、短期主義と目先の利益にあまりにも集中し過ぎている点である。こうした姿勢がどれほどの代償を払うことになり、どれだけ自社をリスクにさらすことになるかを、多くの企業は認識していない。
「義」という武士道の第一の徳目を、企業の価値体系の中心に据えること。その重要性を認識することが、ビジネスリーダーとしての基本かつ根本的な責務となる。
これまで資本主義は数えきれないほど多くの人々を貧困から救い上げてきた。しかし、そうした心強いストーリーに気を取られて、今日私たちが直面する「道義上の義務」から目をそらしてはならない。