The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと

発刊
2021年11月22日
ページ数
302ページ
読了目安
347分
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数字を正しく見極めるために必要な考え方
「数字」が絶対的な真実を表しているとは限らない。数字の裏には、様々な主観や偏見、エラーなどが入り込むため、必ずしも信頼できるわけではないとし、正しく物事を理解するための考え方を紹介しています。
統計やグラフなど、最もらしく登場する数字を正しく取り扱うための解説書。

人を動かす「数字」という言語

新聞を開けば、貧困や犯罪に関する数字や、様々な平均値やチャートが目に飛び込んでくるが、それらすべてのルーツは19世紀にある。つまり数字への熱狂は、誕生からまだ200年も経っていない。数字が大規模に活用されるようになった理由は、3つの重要なイノベーションだ。

 

①標準化

標準化とは、ある特定の概念を計測する時に、共通の方法を用いること。何かを数値化するには、まずその何かを明確に定義する必要がある。標準化が行われた結果、私たちは同じ「数字の言語」を話すようになった。現在、世界中の人がメートルやキログラム、GDP成長率、IQ、二酸化炭素排出量、ギガバイトといった数値で世の中を理解している。

 

②収集

数字の言語が生まれたことで、次に「大量の数字を集める」ことが可能になった。中でも数字の収集に最も積極的だったのは国家だ。

 

③分析

情報をただ集めるのではなく、その情報から意味を読み取らなければならない。19世紀の初め、集まった数字の量が増えるにつれ、数字を分析するというニーズも高まっていった。そして、グラフに続き、「平均」という概念が広く使われるようになった。19世紀終わりには、さらに複雑な分析方法も生まれた。

 

数字を分析することによる重要な発見は、数字が持つ説得力だ。言葉は偏見や解釈を受けやすいが、数字はあくまで中立であり、現実をそのまま表現している。数字の本質は客観性である。数字は人々の生活を向上させる。しかし、同時に破滅させる力もある。

大量の数字を扱う時に最も大切な道具は「標準化」「収集」「分析」だ。しかし、この3つの道具も完全無欠ではない。時にはとんでもない事態を引き起こすこともある。

 

数字に入り込む「5つの主観」

数字は一見すると客観性のオーラをまとっているが、その裏にはえてして「主観的な決断」が隠れている。例えば、世界初のIQテストを実施した研究者たちは、とても客観的とは言い難い次の5つの選択をしている。

 

①「ないもの」を計測している

19世紀になると、経済、犯罪、教育といった抽象的な概念を数字で計測するようになった。ここで危険なのは、参加者である私たちが、それらを客観的な概念だと勘違いすることだ。人間は自分の頭で何かを考えると、それが自分で考えたものであるということを忘れ、最初から実体として存在していたと勘違いしてしまう。

例えば、 「国内総生産」(GDP)という考え方は、国内で生産されたすべての財とサービスの価値を合計した数字であり、その中には政府が生み出した価値も含まれる。この考え方は、元々はアメリカ政府が軍にお金を使いたかったことからつくられた。軍事支出には経済全体を押し上げる力はほとんどなく、国民は豊かにならない。しかし、現在にいたるまで、GDPこそが唯一の豊かさの指標であるかのように扱われている。

 

②「主観」が否応なく混ざる

IQテストを作ったのは、欧米人で、高い教育を受けた男性で、数字が好きな人たちだ。木材からテーブルを作る技術があっても、社交スキルが高くても、IQテストでは評価されない。評価されるのは、数字の列を完成させたり、比喩を理解したり、物事をカテゴリー化したりする能力だ。この種の思考が最も知的であると決める客観的な証拠は1つもない。これは単なる主観的な価値判断だ。

 

③「数えられるもの」だけで考える

抽象的な思考能力の中には、数値化できない要素もたくさんあるが、それらは全て無視される。文章のうまさ、解決策の創造性といったことは数字で表現できない。本当に重要なことは、いつでも数値化できるわけではない。大切なもの全てが数えられるわけではなく、数えられるもの全てが大切なわけではない。

 

④「たった1つの数字」で語られる

経済のような複雑な存在を1つの数字で表すには、必ず何らかの要素を除外することになる。GDPの場合、除外されるのは「お金に換算できないすべてのもの」だ。国の成長には、質の高い教育や医療が全国民に行き渡っていることなど、大切な要素は他にもたくさんある。

数字は1つだからわかりやすい。現実をできる限り忠実に反映しようとしたら、「もし」や「しかし」といった条件がずらりと並ぶことになるだろう。こうした微妙なニュアンスは新聞に取り上げられることは滅多にない。

 

⑤「出て欲しい結果」に寄せる

たとえ客観的に見える数字でも、実際はそれを解釈する人間の偏見や思惑の影響を大きく受ける。

 

数字は絶対的な真実ではない

数字に間違った期待を持つのは危険であり、数字はいつでも客観的だと信じ込まないように注意しなければならない。もし数字を重視するのであれば、数字の限界も知っておかなければならない。数字の裏には、誰かの主観的な判断が潜んでいる。世の中には数値化できないものも存在し、そして数字が語らないこともたくさんある。数字は絶対的な真実ではない。ただ真実を理解する助けになってくれるだけだ。