何もしない

発刊
2021年10月5日
ページ数
330ページ
読了目安
539分
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思考の基盤を取り戻すためのガイド
スタンフォード大学で講師も務める現代アーティストが、ソーシャルネットワークによって生み出される商業的な注意経済に警鐘を鳴らし、そこから離れることの意味を論じている一冊。
生産性を求められる資本主義的な観点を脱し、何もしないことで、注意力を取り戻し、時間や空間の中にある豊かさを取り戻すことが大切であると説いています。

資本主義的な生産性が求められる世界

何もしないでいることほど難しいことはない。人間の価値が生産性で決まる世界に生きる私たちの多くが、日々利用するテクノロジーによって自分の時間が1分1秒に至るまで換金可能な資源として捕獲され、最適化され、占有されていることに気づいている。私たちは数値評価を得るべく自由時間を差し出し、互いのアルゴリズムと交流し、個人ブランドを維持する。

 

そして、刺激が多すぎて思考の流れが維持できなくなるかもしれないというある種の不安が残る。複雑な思考と対話が要求される複雑な時代に生きていることを私たちは自覚している。さらに、どこにも見つからないはずの時間と空間まで要求される。無限の繋がりという便利さは対面での会話の陰影を巧妙に消し去り、その過程で大量の情報と文脈が切り捨てられる。コミュニケーションが阻害される、時は金なりの果てしないサイクルの中で無駄にできる時間などないに等しく、互いを見つける方法も限られている。

成果ばかりに価値を置くシステム内では芸術の存続が危うくなるという事実を考えると、それは文化に関わることでもある。「なんでもないもの」が許容できないのは、それらを利用したり占有したりすることができず、目に見える成果も出ないからだ。

 

フェイスブックやインスタグラムのようなプラットフォームは、私たちが自然に抱く他人への興味や、年齢に関係なくコミュニティを求める気持ちにつけ込むダムのような存在で、人間の最も根源的な欲求を乗っ取って欲求不満にさせ、そこから利益を得ている。孤独、観察、シンプルな自立共生は、それ自体が目的や結果なのではなく、幸運にもこの世に生をうけた者なら誰もが持つ不可侵の権利だと認識されなければならない。

人生を意義あるものにしてくれる物事の多くは、偶然の出来事や妨害、セレンディピティに由来すると、私たちは今でもわかっている。それは、体験を機械的に処理する視点が排除しようともくろむ「なんでもない時間」だ。

 

注意経済から離れよ

「何もしない」の重要なポイントは、リフレッシュして仕事に戻ったり、生産性を高めるために備えたりすることではなく、私たちが現在「生産性」だと認識しているものを疑ってかかるということだ。時間、場所、自己、コミュニティを資本主義の観点から捉えるように促すテクノロジーに対してはとりわけ警戒しなければならない。

ソーシャル・メディアという概念自体が悪者なのではない。責められるべきは、商業的ソーシャル・メディアが持つ侵略的ロジックと、私たちを常に不安、羨望、注意力散漫の状態にしておいて利益を上げることを奨励する金銭的インセンティブだ。そのようなプラットフォームから派生する個性礼賛やパーソナル・ブランディングは、私たちのオフラインにおける自己像や実際に暮らしている場所についての考え方に影響を及ぼしている。

 

「何もしない」とは、まず注意経済から身を引くことであり、その後何か別のものと関わりを持つことだ。「何か別のもの」とは、ずばり時間と空間のことであり、注意のレベルでは、そこで私たちが出会えるのは一度きりしかない可能性がある。

何かを真に理解するためには、そのコンテクストにまで注意を向けなければならない。空間的コンテクストと時間的コンテクストは、それらを定義してくれるものの周辺にある、隣接する存在と関わりを持っている。さらに、コンテクストは出来事の間の秩序を整える。ツイッターやフェイスブックのフィード上で私たちに押し寄せる数々の情報には、間違いなくそれらのコンテクストが欠けている。細分化された断片や、センセーショナルな見出しとして情報が提示されるために、特定の情報と空間的、時間的に関連する物事が私たちには捉えられなくなっている。

 

私たちはいかに多くの時間と労力を、コンテクストが崩壊した大衆に気に入られる発言を捻り出すのに費やしているのだろうか。その労力を、適切なことを適切な人たちに向けて、適切なタイミングで言うことに使ったらどうだろうか。
コンテクストの回復とは、コンテクスト崩壊の状況にあってコンテクストを拾い集めることだ。

「何もしない」とは、注意経済という1つのフレームワークから離れることであり、それは考える時間を持つためだけでなく、別のフレームワークで他の活動に従事するということなのだ。

参考文献・紹介書籍