会って、話すこと。

発刊
2021年9月15日
ページ数
272ページ
読了目安
101分
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会話の本質
そもそも会話とは何か。なぜ人は会話で失敗するのか。自分のことも話さなくてもいい、相手のことも聞かなくてもいい。テクニック不要で、肩の力を抜いて、話を続け、楽しくいるための会話術。
そもそも人と会って話すこととは何かを掘り下げて、他人と自分の向き合い方を考える一冊。

そもそも人は他人の話を聞きたくない

文章を書く時の最初にして最後の心構え「正直であること」が、会話においても同じように重要ではないか。会話が「向かい合って話し合うこと」であるならば、向かい合った相手に対して、正直でいた方がいい。それは誠実に接するということだ。

興味もないのに相手の話を聞くふりをしたり、聞いてもいないのに相槌を打ったり、理解してもいないのに相手の言葉を反復したり、そんな会話術が人間同士が正直に向かい合う態度と言えるだろうか。

 

話し方のどの本にも「聞き方が大事」「相手の言っている内容を理解する」「話を聞いていることを相手に伝える」などと判を突いたように書いてある。他人の話を聞くということは、ここまで注意されて訓練を積まなければできない。これは「結局、人間は他人の話を聞きたくない」ということではないか。

 

会話ではどうでもいいことを話す

そもそも最初に次の2つの考えを捨てたら楽になる。

  • 私の話を聞いてもらわなければならない
  • あなたの話を聞かなければならない

 

人はお互いに他人のストーリーを聞きたくないことがほとんどである。そこを早い段階で話そうとするから、会話は失敗する。ほとんどの人が会うなり自分の事情を話し始める。

 

では、どうするか。「相手のことも、自分のことも話さない」である。会話は、あなたにとっても、私にとっても「外にあること」を話すためにある。しかしその話題は、日本の政治の問題点や、どうすれば世界経済を成長させられるかといった「外のこと」ではない。それでは、会話ではなく「議論」になってしまう。

ある意味、「どうでもいいことを話す」。これこそが会話する理由である。二人が向かい合うのをしばしやめて、窓があったら外に目をやってみる。二人が同じものを見て、「今日の雲は大きいですね」と確認しあうこと、これ以上の「共感」はない。

 

ちょっとした知っていることで話は続く

窓の外を眺めたのに、ただ見たことを情景描写したのでは話は続かない。どうすれば話が続くのか。

会話のベースは「知識」にある。ちょっとした「知っていること」を言えばいいのである。それに応じて相手がもし、さらに「知っていること」を重ねれば、そこから話は転がっていく。何も知らなければ、その場でスマホで調べてもいい。

 

なぜ人は勉強する必要があるのか。それは世の中の「おもしろい会話」「楽しく盛り上がる話」のほとんどが「知識」をベースにしているからである。

 

関係ありそうな、なさそうなことを話す

人は「意見」をいくら述べても賢くならない。また、人の意見に意見をぶつけても賢くならない。これは誰でも意見を言いやすいネットの時代になって、みんなが間違えている点である。

会話とは、関係ありそうでなさそうなことを返すことだ。関係ありすぎる返しをする人は、偉そうと思われたり、喧嘩になったり、事態を面倒にする。関係なさすぎる返しをする人は、馬鹿と思われたり、喧嘩になったり、事態を面倒にする。

前を向いて話すことは、実は対立の可能性を孕んでいる。相手に向かい合おうとすると良くない。会話も、恋愛も「かまって」「私に注目して」が失敗の元になる。

 

脈絡がないわけではないがさりとて議論するでもない。ちょっとした知識や、「話はちょっとズレますが」で話をあさってに持って行く、話をそらす力が会話の力である。

相手と自分の「間に発生」したことを楽しむ。前ではない、上を向いて話す。そうすることで、対人関係の息苦しさや、話の続かない気まずさから少しだけ楽になれる。

 

日常会話のおもしろさとは

会話でよく「ボケをかます」などというが、その正体は何か。それは、今、目の前にある現実世界に対する、別の視点からの「仮説の提示」である。

  1. 話者が現実に対して「ボケ」という仮説を提示する
  2. 他者がその仮説を一旦認定し、他の事象を例示する
  3. 両者が法則性を発見し、他の事象に演繹する
  4. さらにもう一度全体に帰納する
  5. 現実世界への見え方が変化し、新しい認識が生まれる

 

会話にこのプロセスがあることが「笑い」であり、全ては対話の過程で起こる。この最初の「ボケ」の提示が、豊かな会話への出発点となる。日常会話のおもしろさは「仮説に仮説を重ねる」ことにある。相手が突然提示した「ボケ」の姿勢を肯定し、現実から離陸した世界をお互いに発見する。

ここで「ツッコミ」は不要である。その行為は会話する者同士に5のような世界への新たな認識をもたらさない。「ツッコミ」は漫才や落語などの舞台演劇上の職務であって、現実の会話には全く必要ない。

参考文献・紹介書籍