自分の価値観を棚卸する
心は使い方次第で人を気高くもすれば、卑しくもする。心にはそういう力がある。モンク・マインドは、私たちに今とは違う人生観、違う生き方を見せてくれる。その新しい生き方では、反骨心、無執着、再発見、目的、集中力、自制心、奉仕が鍵を握る。
人は皆、程度の差こそあれ、無意識に自分の役柄、ペルソナを使い分けている。そして他人にそう思われていると思っている自分の姿に忠実であろうとするあまり、自分の価値観さえも犠牲にしてしまう。社会が言う幸せな人生の定義は、誰にでも当てはまるように見えて、実は誰のものでもない。本当に自分らしい人生を送りたければ、周囲の雑音にフィルターをかけて、自分の内面を見つけるしか道はない。それが「モンク・マインド」を育てるための第一歩だ。
まずは、私たちを翻弄し、大切なものを見えなくしているプレッシャーに目を向ける。そして、今の生き方のベースになっている価値観の棚卸しをして、その価値観が本当になりたい自分、本当に生きたい人生と合致しているかどうかを考えることだ。
基本的価値観とは、その人にとって最も重要な原則、つまり、これが人生の指針だと感じられるものを意味する。価値観は、自分はどんな人間になりたいのか、自分自身や他者とどう接するか、ということの決め手になる。人の価値観は生まれついた環境と経験に左右される。
モンク・マインドは、観察して見極めることによって育つ。そして観察と見極めは、ゆとりと静けさから始まる。周囲から聞かされる意見や期待や義務といった雑音のボリュームを絞った時、自分自身の声が聞こえてくる。他人の考えという埃を拭い去れば、自分の核となる信念が見えてくる。自分と向き合うための方法は次の3つ。
- 毎日、その日を振り返る時間をつくる。どんな1日だったか、自分が何を感じたかを考える。
- 月に1回、知らない場所に行ってみる。新しい環境に身を置いた時、自分に何が起きるか探ってみる。
- 自分にとって意味のある活動に取り組む。趣味でも、慈善活動でも、政治活動でもいい。
ネガティブな感情や思考を切り替える
人間は他者に合わせるように生まれついている。脳は衝突や議論を好まない。似たような思考の持ち主たちに囲まれている方が落ち着く。人に合わせようとする本能は大きな圧力となって私たちの生活にのしかかる。私たちが不平不満合戦に加わりやすい理由の1つはそこにある。
それに、ネガティビティに囲まれているほど、自分もネガティブになる。そこで、ネガティビティのカテゴリーを理解しておくと、そういう人と出会った時に、適切な距離をとりやすくなる。そして、自分がどう振る舞うべきかを冷静に判断できるようにもなる。僧侶のつもりで、物事を根っこの部分まで掘り下げ、観察し、明らかにすること。そうすれば、自分が置かれている状況をシンプルに説明できるようになる。
- 観察者になる:その瞬間に生じる感情の高ぶりから自分自身を切り離す
- じわじわ離れる
- 25対75の法則:身近にいるネガティブな人間1人につき、ポジティブな人間3人と付き合う
- 時間配分を決める:完全に排除できないネガティビティには、付き合える時間の配分を決めておく
- 救助者になろうとしない:
外側からくるネガティブなエネルギーに気づいて、その影響力を和らげる努力を始めると、自分の中にあるネガティブな傾向にも気づいて、その威力を和らげるのがうまくなる。ネガティブな考えや感情は絶えず生じてくるものだが、問題はそれをどう扱うかにある。本当の自由を手に入れる鍵は、自分自身に気づくことにある。
大半の人間は自分のネガティブな思考に気づかずにいる。思考を浄化するためのプロセスを、僧侶たちは、気づきと取り組みと修正と言うが、「見つける、止まる、切り替える」と呼ぶと覚えやすい。
- 見つける:まず、今この瞬間に自分の中に生じている思考なり、問題点なりに気づく。
- 止まる:一時停止して、問題の正体や原因について考える。
- 切り替える:反応の仕方を修正する。
許す
手強いのは苦悩や怒りのようなネガティブ感情だ。許すという道が見つからない時、私たちは怒りで立ち往生している。僧侶は、自分の選択や感情を誰かの行動のせいにしたりしない。復讐心を乗り越えた時、人は許しのプロセスに取り掛かることができる。
許しは心に平安をもたらす。許すことはエネルギーの節約でもある。謝罪もいかなる償いも期待せずに許す「変容をもたらす許し」を実践すると、様々な健康問題の改善につながることがわかっている。許しはストレスを和らげる。なぜなら怒りの堂々巡りを断ち切れるからだ。
「許し」をスピリチュアルな習慣の一部として実践していると、親しい人との関係も俄然うまくいくようになる。わだかまりを捨てれば、修羅場も減る。