日本式経営の逆襲

発刊
2021年6月19日
ページ数
266ページ
読了目安
379分
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日本の経営技術を再評価すべし
海外からもたらされる経営コンセプトの中には、実は日本の経営技術が基になっているものが多い。にもかかわらず、失われた30年において、悲観的に見られがちな日本の経営技術。日本式の経営を再評価し、コンセプト化し発信する必要性が説かれています。

日本の経営技術は評価されるべき

世界的に活躍する企業家も、外資系コンサルティング・ファームも、過去から現在に至るまで、日本の経営から学び続けている。それにも関わらず、日本の経営に対しては、海外からは今でも高く評価されている一方で、国内では悲観論や自虐がはびこっている。このような状況が生じる一因は、世の中において「経営成績」と「経営学」と「経営技術」がいっしょくたに評価されてしまっていることにある。

  • 経営成績:ビジネスに対する一時点での金銭的評価(時価総額、売上高、純利益額など)
  • 経営学:「なぜ◯◯という企業の成績は他社よりも優れているのか」といった疑問に科学的、哲学的に答えるもの
  • 経営技術:経営に関する手法そのものと、その手法自体を生み出すための実践的な思考フレームワーク

 

アマゾン創業者のジェフ・ベゾスといった世界的企業家が日本企業の経営技術から多大な影響を受けていると公言していることは、一般には知られていない。世界をリードしている経営者をはじめとして、海外の実務家のうち慧眼の持ち主は、日本企業が培ってきた経営技術を虎視眈々と狙っている。

 

アジャイル開発、リーン・シンキング、リーン・スタートアップ、フロントローディング、ボトルネック。日本の経営実践が源流にありつつもメイド・イン・アメリカのコンセプトとして日本に受け入れられているものは多々ある。オープン・イノベーション、ユーザー・イノベーション、デザイン思考なども、アイデア創出段階において日本企業や日本の経営実践が一部影響している。

それにも関わらず、日本の経営は「遅れている」という言説が流布されている。

 

経営技術の逆輸入は自社の強みを壊す

日本の経営実践、経営技術を基にしたメイド・イン・ジャパンのコンセプトが、いつの間にかメイド・イン・アメリカになってしまい、再度日本に持ち込まれる。こうした「経営技術の逆輸入」という状況は、日本においてすでに一般的になりつつある。

こうした経営技術の逆輸入的な状況は、「本当に学ぶべきだった対象」を見誤らせてしまう。日本の経営技術がアメリカをはじめとした海外企業や海外研究者によってコンセプト化され、日本に逆輸入される状況は、流行に踊らされて、自社の強みを自分で破壊してしまうことに等しい。

 

経営技術の逆輸入という状況が発生する第一の原因は、経営者が諸外国から日本にもたらされたコンセプトに触れた時、「これは既に日本の現場でもやっているのではないだろうか」と考えもしないことである。新しい経営コンセプトに出会った時には、一度は立ち止まってみることが大事である。

 

経営技術の逆輸入的な状況が発生するもう一歩深い原因は、日本の産官学がコンセプト化にあまり積極的でなかった点にある。その理由は、抽象化・論理モデル化のメリットが認識されなかったこと、抽象化・論理モデル化する組織能力が相対的に低かったということが挙げられる。

 

経営技術をコンセプト化せよ

日本企業は、世界に先駆ける経営技術を数多く生み出してきた。一方で、経営実務の中から生まれた経営技術をコンセプト化し、サービスやシステムとしてパッケージにして海外を含む他社に売り込むという点では、諸外国に後れをとってきた。即ち、日本は経営技術のコンセプト化に負けてきた。

 

なぜ日本は抽象化・論理モデル化に弱かったのか。これまで日本企業は社内での濃密な人間関係を土台とした緊密なコミュニケーションによって競争優位を得てきた。それは、日本という国が、文化的・言語的にも比較的均一だという特徴を持っていたことも影響しているだろう。

こうした文脈に深く依存したコミュニケーションが可能な環境の中で、海外に比べると、抽象化・論理モデル化によって誰でもわかる形にする力をつける機会に乏しかったと言える。

 

問題は、個々人の論理力というよりも、企業や組織での具体的な現象を抽象化して議論するという、組織レベルの能力である。日本の産官学が経営技術を抽象化・論理モデル化してコンセプトにまとめあげ、それを世界に発信するには、まずは抽象的な議論を評価する制度や風土を作っていく必要がある。