地下二階のものづくり
音楽プロデューサーの小林武史さんと話している最中、「地下二階のものづくり」という言い方が出てきた。普通の人は、地上1階と地下1階の間を行き来してものづくりをする。これは、今の世の中のあり方が見えていて、そこに合わせようとして、結果的にオリジナリティのない似たものが溢れることになる。一方、「地下2階」の住人は、地上で何が行われていても関係なく、青い空や心地いい風のイメージを大事にしながらものづくりをする。
世界一のトロフィーが欲しくてケーキやチョコレートをつくっている訳ではない。そのつくったもので誰かと誰かが新しい関係を築いたり、対話を生み出すきっかけになったり、自分自身を振り返るようになったり、くじけそうになっている人を激励したり、ということに役立つことが嬉しいだけだ。売れるための地下1階にいる訳ではない。
失敗の理由を改善する
好き嫌いとは違う本当にやりたいレベルは、自分というものにお客様というファクターが入ってこないかぎり分からない。自分の頭の中の空想をいくら表明しても、それは独りよがりに過ぎない。
「今できること」と「今からできるようになること」がある。その両方をやりながら、まだ日も浅いスタッフとのコミュニケーションも十分に取れるようになって、そうしてつくっていくお菓子がお客様にとってどんな反応になるかがやっとわかっていく。弱点も強みも少しずつ明らかになって初めて本当の「やらなくてはいけないこと」が見えてくる。
しかも、他のケーキ屋をリサーチしたり比較する発想はない。どこかにあるお店や、売れている商品などは過去のデータであって、これから生み出していく商品や「エスコヤマ」という新しい生き物を過去の何かと同じ地平で語ることはできない。
エスコヤマのお客様の驚かせ方は変わっている。「コンプレックス」や「弱点」「改善点」から見つけていく。考えてやったことは、失敗しても失敗の理由を探すことができる。だから「反省」ができる。考えないでやったことは、失敗のポイントを見つける準備が不足しているから同じ失敗を繰り返す。反省はネガティブに落ち込むことではない。実現できなかった理由をポジティブに考えるのが反省の目的で、本当にやらなければならないことに気づいていけばいい。気づいたら、楽しんで全力でやる。自分が楽しいことは世の中の誰かの役に立っているはずだ、と信じることができる人は、きっと仕事が面白くなる。
成功であれ失敗であれ経験をする
問題が起こった時に「放置すれば楽だ」と考える人と、「なんとかしなければ」と思う人がいる。この違いが人生のクオリティを決めてしまう。本当の経験というものは、問題から始まる。問題を避けていたら、経験を積んでいくことにはならない。
問題を自分の経験にしようという意思を持っている人と、そうでない人の違いは、「他人事」と「自分事」の違いだ。問題が自分事になっているかどうかだ。自分事の問題であるにもかかわらず、誰かがやってくれることを喜んでいてはいけない。
自分事を他人事にしてしまうその1つが「慣れ」だ。知識として「正解」や「正論」を先にインプットしてしまい、そこに安住してしまう人も、経験に触れることができなくなるから他人事を増やしてしまう。
成功もしなければ失敗もしない日々が常態化してくると、様々なことが自分の身にならない。成功であれ失敗であれ、きちんと経験すること。なぜ今回はうまくいったのか、なぜ予測に反して失敗したのかをとことん考え抜くこと。そうして初めて経験が自分のものになっていく。
自分自身の経験から、失敗の原因を追求し改善していくプロセスこと最も人が成長できる時間である。