18歳から考える経済と社会の見方

発刊
2016年10月25日
ページ数
287ページ
読了目安
454分
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推薦者

わかりやすい経済の入門書
経済の仕組みをわかりやすく解説し、現在社会について考えるヒントを提供している一冊。

国民の豊かさとは何か

アダム・スミスは経済学に対して多大な貢献をしている。最も重要な指摘は次の3つ。

①国富というのは国内生産力のことだと明示したこと
②分業の利益によって生産性は向上すること
③「神の見えざる手」という概念で経済活動の秩序を説明したこと

スミスは、経済的な生産活動こそが、国民の富であると考えた。つまり、国あるいは社会の豊かさとは各種の財・サービスの生産能力のことであり、社会に存在する金や銀などの貴金属の量ではないと明示した。当時の社会の支配的な常識は「重商主義」であり、社会や国の豊かさというのは、金や銀などの貴金属であると考えられていた。重商主義によると、できるだけ多くを輸出して少なく輸入することで貿易黒字=貴金属を増やせば、国家社会が豊かになると考えられた。

しかし、実際にはより多くの金貨を貯め、市中に出回る通貨の量が2倍になっても、商品価格も2倍になる。実質的な豊かさは変わらない。結局、ある社会の人々が豊かな生活を享受するためには、彼ら自身が有用な商品を作り出す必要がある。輸出品の価値を裏付ける生産性の高さだけが国民の豊かさを決定する。

分業と交易

スミスは、経済における分業の利益を明確に指摘・解説した。仕事を小さな単位に分割することで、労働者は個別化された作業に熟練することができ、全体として生産性が高まる。現在の経済は、私たちの誰1人として認識しきれない、信じられないほど数多くの作業知識や熟練によって成り立っている。分業と交易から生まれる利益は、歴史的な生活水準の向上に直接に役立ってきた。商業活動を自由化すれば分業が促進されて、一般人の生活水準は上がり、統治者の税収も増える。

交易が自発的に行われる限り、両国民は必ずより多くを生産・消費できる。他国の生産性が、すべての産業について圧倒的に優れていたとしても、自由貿易は必ず両方の当事者に利益をもたらす。

どの国にも比較優位な産業がある。日本のような平野の少ない地形の国で、大規模な農地が必要な穀物を作るのは効率的ではない。反面、日本は既に工業国家として100年以上の歴史を持ち、自動車など多くの工業製品に関して、世界的な評判を確立している。日本人が国内で穀物を耕作することにこだわれば、それだけ私たちの生活は江戸時代の自給自足経済に近づき、生活水準は低くなる。

仮に人間の技術的、科学的な知識に全く進歩がなく、同じ水準にとどまり続けたとしても、分業をすることで生産性は少しずつ上がって行く。つまり、分業によって一人一人の人間の作業は単純化され、その作業に熟練することが可能になるからである。

しかし、分業を進めるためには、より多くの人間が交換経済に加わる必要がある。通常は政治的な分断や地理的な隔絶、それに伴う言語・文化的な違いによって、自由な交換がおよぶ範囲には限界が生じる。分業の利益は、そこから生じる生産性の向上が、長距離にわたって輸送する費用と釣り合う時に停止する。

技術革新

近代から現代を象徴する「資本主義」のシステムのことを産業資本主義と呼ぶ。産業資本主義とは、単にものを移動させることから利益を生み出すことではなく、未加工の原料を仕入れて、それを工場で加工して、製品として売ることで利益を生み出す活動のことである。その付加価値の源泉は人間の持つ特殊な工業知識であり、それを遂行する能力にある。つまりは工業技術=テクノロジーによって、それまでになかった製品を作り出す。

専門化した工業生産によって利益を得るという産業資本主義が生まれたのは、18世紀のイギリスである。毛織物生産における一連の革新的な技術の導入による効率化と、石炭を使った動力源による作業の自動化を総称して「産業革命」と呼ぶ。産業革命はヨーロッパから世界へと拡がり、現代の資本主義社会を形づくってきた。

こうした分業の進展と技術の進歩のみが、我々の生活を豊かにしてきた。