役に立たないかわからない
世界を席巻することになる2つの発明「核エネルギー」と「コンピュータ」は、どちらもアインシュタインが1933年から研究の拠点にしていたニュージャージー州のプリンストン高等研究所で生まれた。同研究所は、初代所長となるエイブラハム・フレクスナーの発案で設立された。目指したのは最高レベルの研究者が日常の雑事や実務的な仕事から解放されて、思索に没頭できる環境である。それは「役に立たない知識を誰にも邪魔されずに探求する」というフレクスナーの構想を実現したものであり、仮にそのような知識が何かの役に立つとしても、それは数十年先のことだろうと、フレクスナーらは考えていた。
彼が最初に同研究所に迎え入れた学者の1人であるアインシュタインは、1939年、ルーズベルト大統領に送った手紙で、原子爆弾の開発を促した。フレクスナーが初期に迎え入れたもう1人の学者は、数学者フォン・ノイマンだ。彼は、アラン・チューリングの「数学の定理を機械的に証明できる万能の計算機」という漠然としたアイデアに魅了された。原子爆弾開発計画で大規模な数理解析モデルが必要になった時、フォン・ノイマンは高等研究所の技術者を集めて、コンピュータの設計、製造、プログラミングに着手した。
数学の定理を証明できる機械という構想や、原子核の構造に関する高度に専門的な論文は、無益な努力のように思えるかもしれない。しかし、実際のところそれらは、私たちの生活を革命的に変える技術の開発において、重要な役割を果たした。
「役に立つ」知識と「役に立たない」知識との間に、不明瞭で人為的な境界を引くのはやめるべきだ。応用研究と、まだ応用されていない研究の両方を支援することは、賢明なだけでなく、社会的に極めて重要である。科学のイノベーションが社会に様々な形で浸透していくことを可能にし、促進するには、しっかりしたポートフォリオを考えるのが有益だ。研究における健全でバランスのとれたエコシステムは、相互に依存し制御しあう網目状のネットワークを育成しながら、あらゆる学問分野の支援につながるはずだ。
しかし、現在の研究環境は、不完全な「評価指標」と「政策」に支配され、この賢明なアプローチを妨害している。不安定な経済、世界的な政情不安、短くなる一方の時間サイクル、それに深刻な資金不足、という環境にあって、研究を選ぶ基準は、保守的な短期目標を重視する方向へ、危険なまでに傾いている。このままでは、緊急性の高い問題ばかり追って、人間の想像力が長い年月をかけて達成する大きな進歩を逃すことになりかねない。
役に立たない知識は有益だ
革新的なアイデアや技術の妨げとなる心の壁を打ち破ることができるのは、少々の幸運に助けられた好奇心だけだと、フレクスナーは生涯にわたって確信していた。知識の長い物語はしばしば自由な探求に始まり、実際的な応用に終わるが、それは後になってようやくわかるものだ、と彼は考えた。「役に立たない知識は有益だ」というフレクスナーの主張は、現在において一層重要であり、さらに広い分野において真実であり続けている。その理由は次の通りだ。
①基礎研究はそれ自体が知識を向上させる。基礎研究は、可能な限り上流まで知識を探求し、実践的な応用やさらに進んだ研究へと緩慢ながら着実につながるアイデアを生み出していく。
②先駆的な基礎研究はしばしば予想外の直接的な形で、新しいツールや技術をもたらす。
③好奇心への知的挑戦に惹かれる若い科学者や学者は、新しい考え方や技術の使い方に長けている。彼らの技能を社会で応用すれば、革命的な変化が起きる可能性がある。
④基礎研究によって得られる知識の大半は公開され、総じて社会のためになる。
⑤先駆的研究の最も具体的な効果の1つは、スタートアップ企業という形であらわれている。