「平均」という便利なツール
ゆりかごから墓場まで、平均という尺度は常に付きまとい、平均値にどれだけ近づいているか、あるいは平均値をどれだけ上回っているかによって人物が判断される。学校では、平均的な学生の成績と比較して評価やランク付けが行われる。就職の際には、評価やテストの点数だけでなく、スキルや経験年数、性格検査の得点までが平均的な応募者と比較される。
平均主義は他のどの選択肢よりもうまく機能した。タイプやランク、平均を基準にしていれば、結局のところ非常に都合が良い。「彼女は平均よりも賢い」「彼女は内向的だ」などと発言するために努力する必要がほとんどない。曖昧さとは無縁の数学に基づいている印象があるので、簡潔な発言が真実のように思われてしまう。
平均主義は私たちの思考を驚くほど窮屈なパターンに押し込めてしまったが、私たちはそれについてほとんど気づかない。到達する結論は、明白でいかにも合理的だからだ。
人の資質は1つの点数では測れない
平均主義は私たちの思考を驚くほど窮屈なパターンに押し込めてしまったが、私たちはそれについてほとんど気づかない。到達する結論は、明白でいかにも合理的だからだ。
しかし、最も重要な資質(才能、知性、パーソナリティ、性質など)は、1つの点数で評価できない。平均主義の発想から解放されると、全く新しい方法で個人を評価したり選抜したり、理解できるようになる。タイプやランクをきっぱり捨て去り、自分の人生に備わっている真のパターンを発見できる。
平均主義への依存から脱却するためには、個性学を支える3つの原理「バラツキの原理」「コンテクストの原理」「迂回路の原理」を学ぶ必要がある。
バラツキの原理
1つのシステムを構成するすべての側面の相関が強ければ、システムにバラツキがあるとは見なされず、それを解明するために一次元的思考を用いることが正当化される。しかし、人間の重要な特質のほぼすべて、中でも特に才能は、複数の異なる側面から成り立っており、各側面の相関は弱い。
複雑で「バラツキのある」ものを理解するためには、一次元的な思考は役に立たない。
コンテクストの原理
私たちの行動は、個性にも状況にも常に左右される。人間には「本質的な性質」など存在しない。私たちのアイデンティティには首尾一貫した要素は存在するが、その一貫性は特定のコンテクストにおいて存在する。この原理によれば、個人の行動は特別の状況に左右されるので、コンテクストから切り離して説明することも予測することもできない。よって、私たちは、コンテクストごとに異なる行動パターンに目を向けなければならない。
迂回路の原理
人間の体、精神、モラル、職業など、いかなるタイプの成長についても、たった1つの正常な経路など存在しない。人生のあらゆる側面において、そしていかなるゴールを目指そうとも、同じゴールにたどり着く道はいくつもあって、しかもどれも妥当な方法である。そして、最適な経路は個性によって決定される。
人間は個性にバラツキがあり、しかもそれはコンテクストに左右されるので、進歩の速度も、結果に至るまでの順序も異なる。読解力に限らず人生のあらゆる面において、能力は順序正しく発達するわけではない。
誰もが特殊ケースである
バラツキの原理とコンテクストの原理、迂回路の原理は、最終的にすべて同時に作用する。自分にとって正しい道を選ぶためには、自分の能力にどのようなバラツキがあるのか理解しなければならない。次に自分が能力を発揮できるコンテクストについても理解しなければならない。
個性に関する一連の原理を理解すれば、うまく人生をコントロールできるようになる。平均が押し付けてくる型にこだわらず、ありのままの自分と向き合えるようになるからだ。