幸せは内側にある
幸せとは期待するものでもなければ、働くことで必ず手に入るものではない。さらに、幸せとは外的な条件に依存すべきものでもないし、仕事の成功や純利益をあげることのように、変わりやすく、いつしか失う可能性さえあるものによって決まるものでもない。
私たちは人並み以上に幸せを探そうとしてしまいがちだが、幸せとは人間の基本的な特性であり、私たちの内側にずっと存在している。人間にとってのデフォルトの状態が、幸せそのものである。不幸せが存在していないことが、幸せなことである。
しかし、私たち人間は、自分自身の内側ではなく外側に幸せが存在すると信じ、努力をしないと幸せを得ることができないという考えに至ってしまう。それは、幸せを手にするためには、成功、富、権力や名声が必要で、常に努力するように、教育されてきたからである。
幸せの方程式
人は、望むように人生が運んでいる時に幸せを感じる。
幸せ ≧ 人生における出来事の認知 – 人生が思い通りに進むことへの期待
この方程式は、起こった出来事が自分の期待と同等、もしくはそれ以上のものであると感じるならば、幸せである(少なくとも不幸せではない)ことを意味する。
ここで重要なのは、出来事そのものによって、人は不幸せになるのではないということである。その出来事の捉え方が問題となる。起きた結果が同じでも、考え方を少し変えるだけで、幸せの感じ方は大きく変化する。
幸せは意識的な選択によって始まる
私たちが不快感を覚える出来事も、日常の中に存在する。情動的な不快感を経験すると、その出来事の強度によって、数分、数時間、もしくは数日にわたり、心に痛みを覚える。でも、それについて考えることをやめてしまえば、傷ついた感情は消えてなくなる。そして、時が過ぎ、記憶が薄れると、自分が経験したことを感謝して受け入れることができるし、そこから学んだすべてのことを活かしていくこともできる。
しかし、精神的な苦しみの場合、事情は異なってくる。精神的な苦しみに対処しないと、その原因がたとえ瑣末なものであったとしても、そのことを頭の中でとめどなく再現してしまい、苦しみが長く続いたり、何度も再燃したりすることがある。これは無用な精神的な苦しみによって、幸せのデフォルト状態が上書きされてしまうことを意味する。
1つ言えることは、私たちが感じる苦悩は、私たちを取り囲む世界の産物ではないということである。出来事はすでに終わっているのに、私たちは精神的な苦しみを持ち続けてしまう。それは、私たちの脳の仕業である。
思考によって、人は何年でも精神的な苦痛を考え続けてしまう。それでも、人は自分の思考を信じて手放すことができない。私たちがすべての思考をいかにコントロールするかによって、幸せは完全に左右される。
考えることをやめれば、デフォルトの状態に戻ることができる。心の痛みを伴いつつも、精神的に苦しむことをやめる選択をすること。何よりもまず、日々の生活で様々なことが起きても、人生の本質は変わらないことをしっかりと理解することから、喜びに満ちた状態は生じる。