経済の基本的な仕組み
経済の基本的な仕組みを突き詰めれば、「誰かの支出は、誰かの所得である」という1点に辿り着く。パン屋さんでパンを買うために200円支出したら、その200円はパン屋さんの収入になり、全体の収支は「0円」でバランスする。
日本国内だけに絞れば、「家計部門」「企業部門」「政府部門」という3つの経済主体が存在している。企業や政府は家計に「給料」を支出し、政府は家計に「社会保障給付」などを支出し、家計や政府は企業に「商品やサービスの購入代金」を支出し、家計や企業は政府に「税金・社会保険料」などを支出するといった形で、3者の間をお金が循環することで日本経済は成り立っている。
つまり、「家計部門」「企業部門」「政府部門」の収支すべてを足し合わせると、全体は「0円」でバランスする。だから、この3者が同時に黒字になることはあり得ない。一般的に「家計部門は黒字であった方がいい」とされるが、そのためには企業部門と政府部門のどちらか、あるいは双方が赤字でなければならない。
メディアが「財政赤字=悪」と決めつけ、「財政健全化のためには、増税や財政支出の削減やむなし」とする論調は、「財政赤字の削減」が「家計収支」にどのように影響を及ぼすのかという視点が欠落している。そもそも赤字は必ずしも悪いものではない。「将来の成長のために必要な赤字」を引き受けながら、企業部門と政府部門がしっかりと支出(投資)することによって、家計部門が十分な黒字を維持できるようになれば、家計部門は安心して支出を増やす。すると、商品やサービスが売れて、企業業績は向上する。
経済成長には「投資超過」が不可欠
企業とは本来、銀行などから資金を借り入れて、積極的に設備投資を行い、事業を成長させていく(投資超過)存在である。ところが、日本の企業貯蓄率は、ここ30年近く平均するとずっとプラスであり続けている。つまり、利益よりも少ない投資しかせずに、お金を貯め込む(貯蓄超過)を延々と続けてきた。バブル崩壊によって、バランスシートが毀損した企業は、投資を控え、借入を減らし、リストラを進め、コストを削減し、資金を貯め込む方向に舵を切った。企業が「貯蓄超過(投資不足)」になると、社会全体の「需要」が萎み、モノやサービスが売れなくなるため、企業は値下げするほかなくなり、「物価下落=デフレ」が始まる。
企業や家計の力ではデフレを脱却できないとすれば、残るは政府のみだ。政府部門は国債を発行することで、お金を借り入れ、公共性のあるプロジェクトに投資したり、国民に給付することができる。だから、政府は、この30年間にわたって財政赤字を出し続け、政府債務を積み上げてきた。しかし、この間の財政赤字が少なすぎたから、デフレから完全脱却することができなかった。
デフレを脱却するためには、企業部門と政府部門の収支を合計した時に「投資超過=赤字」になっている必要がある。「企業貯蓄率」と「財政収支」を足した日本国内の「お金を支出する力」を「ネットの資金需要」と呼ぶ。1980年代から1990年代にかけては「ネットの資金需要」は対GDP比で5%くらいマイナスを維持していた。企業部門と政府部門の合計が「投資超過=赤字」の状態にあり、家計部門に所得が回り、消費が活発になり、経済は膨らんでいた。
ところが、1990年代後半から「ネットの資金需要」はプラスの方向に向かい、2000年代以降、ずっと0%を続けてきた。つまり、経済を膨らませる力も、縮小させる力も働いていない状態だった。政府部門の収支だけを見ると、巨額の財政赤字を積み上げてきたように見えるが、それだけでは企業部門が貯め込んでいる巨額の黒字を超えることはできなかったということだ。
「失われた30年」の原因
約30年続いたデフレ状況の中で、日本の「ネットの資金需要」はほぼ0%で推移してきた。これを持続的に経済が成長していた時代の-5%程度にすれば、経済には適度な「膨らむ力」が働き、「名目GDP成長率」は年3%程度で成長し、「物価上昇率」も2%程度で安定的に推移する。-5%に持っていくには単純に財政赤字を約30兆円増やす必要がある。もちろん、その財源は国債で、お金を信用創造によって新たに生み出し、世の中に供給する必要がある。
日本のように自国通貨を発行している国は、何らかの理由で政府が支払いを拒まない限り、財政破綻は原理的には起こり得ない。政府は国債を発行して「負債」を背負うことによって、お金を生み出し、それを支出することで家計や企業の「金融資産」が増える。国の経済規模が大きくなれば、それに合わせて国内を流通するお金の量は増えるはずだし、その裏付けとなる負債も増えるのは自然のことだ。「失われた30年」の原因は、政府が「緊縮財政」に囚われ、積極的な投資を怠ってきたことにある。