自由過ぎて身動きできない時代
ひと昔、多くの人の人生には、外から与えられたルールがあった。学校、職業、結婚も「大体こうするものだ」という形があった。窮屈だと感じていた人も多かっただろうが、それは同時に「迷わなくていい指針」でもあった。
しかし今、進路も働き方も生き方も、ほとんどが「自由に選んでいい」ことになった。情報は溢れ、選択肢はどこまでも広がり、誰かに指図されることは少なくなった。しかし、自由すぎて、かえって身動きが取れなくなる。この状態を「自由過多」と名づける。
「なんでもできる」は励ましであると同時に、呪いでもある。なんでもできるはずなのに、何もできていない。その落差が少しずつ自信を削っていくからだ。これが現代を生きる私たちが抱える、しんどさの正体である。「自由過多」は若者だけの問題ではない。働き方も定年後の生き方も選べてしまう今、世代を問わず、誰もがこのしんどさの当事者になっている。
選択とは他の可能性を捨てること
自分で選べるものが増えたことは、快適で恵まれていると言える。しかし、裏を返せば、全てを1つ1つ、自分で選んで決めなくてはならないことでもある。この1つに決めて選ぶことは難しい。なぜなら「決める」とは「他の可能性を捨てる」ことだからだ。
私たちが可能性を捨てられないのは、明日が今日の続きではなくなったからだ。東日本大震災、コロナ禍、生成AIの登場など、私たちは世界が数年単位でガラッと変わる経験を何度も味わってきた。こんな経験をしてきたら「これから先もまた、予想もしなかった激変が起こる」と思う方が自然だ。だから「なるべく多くの可能性を持っておこう」とする。
さらに可能性を捨てられないのは、「人それぞれの幸せ」が尊重される、多様性の時代になったことだ。多様性は自由をくれると同時に、頼れる「正解」も「責任を分かち合える存在」も奪っていく。誰かと比べながら、答えのない問いを自分1人で抱え続ける。「可能性を捨てる」という主体的な選択を、たった1人でしなければならない。
自由過多で生まれる迷い
自由過多によって私たちが陥りやすい「迷い」を分類すると次の5つになる。
①今に満足できない
今に満足できないのは、自分が選ばなかった方の人生が見えすぎるからだ。SNSや人の話、転職サイトなどで、また手に入っていない可能性と現在を無意識に比較してしまい、今に満足しづらくなっている。たくさんの選択肢が自分の手の中にある時、現状の「良くない」部分が見えてしまうと、他の選択肢が魅力的に思えてきやすい。
②やりたいことが見つからない
私たちは「仕事=自己実現」という等式が、当たり前のように内側に刷り込まれている。かつて仕事は「生きるための手段」だった時代には、仕事と自分の内面の一致をそこまで求める必要はなかった。しかし今は、「やりたいことを仕事にしていないと、貴重な人生の時間を無駄にしているのではないか」という感覚が、忍び込んでくる。
③自分が他人より劣って見える
私たちは今、歴史上最も「他人の生き方」を近距離で眺められる時代を生きている。手が届きそうな距離で「自分らしさ」を完成させている人が、画面を埋め尽くしている。この水平方向の比較が、気づかない内に自信を削っていく。そして、挑戦する前から、その選択が「間違い」に見えてしまう。
④正解があると信じてしまう
選択肢が多いほど「最適解が存在する」という錯覚が生まれる。選択肢が多いほど「ちゃんと選べば、完璧な正解に辿り着けるはず」という期待が膨らんでいく。
⑤急がないと、取り残される
選択肢が増えても1日は24時間のままだ。やれることが増えた分だけ「やれていないこと」も増えた。同時にSNSを開けば、自分と同い年の誰かが、どんどん前に進んでいる。
前に進むために必要なのは「ちょうどいい不自由」
「ちょうどいい不自由」とは、自分の見る範囲を自分で決めることだ。自分で「ここまで」「これだけ」という範囲を決める。その制約が、かえって自分を自由にしてくれる。ポイントは「自分で決めた」というところにある。
ここで大事になるのが「何を基準に捨てるか」だ。そのための方法は以下の4つ。
①リスクを「正しく恐れる」
「自分のどうにかできること」と「自分にはどうにもできないこと」の2つに線を引き、どうにもならないことを捨てる。
②「北極星」に沿って決める
「これに合わないものは選ばない」と聞きれる基準を1つだけ持つ。
③自分だけで「決めない」
「自分1人で決めない」という意思を持って、委ねる。自分のことは自分が一番わかっているとは限らない。
④自分の「波」に従う
毎日を生きる自分は決して一定ではない。揺れることを前提に、自分の波の状態を把握して、その時々に合わせて行動を変える。