人に催促することが苦手です
人の生死は締切に始まり、締切に終わる。出産も締切があり、死もまた締切である。人生は締切だと考えて、開き直るのが最善である。生きている者は全員、デッドラインを引き受けないといけない。そう思えば、催促の心理的負担や面倒は、少しは軽くなるのではないか。
催促が得意な人は世の中にいない。根本的に解決できる対処薬もないから、とりあえず何でも試してみる。心に負担をかけない方法を工夫して、いろいろトライすることが、自分に見合った催促の正解に出会える有効策である。
お金を出し惜しみせず使ってしまう
金遣いの荒さは改善しない。潔く諦めるしかない。無駄遣いも、改善したいも欲である。浪費癖もある種の生活習慣から作られてきた「体型」みたいなもの。お金遣いが荒い「体型」という事実を見極めること。
お金とはエネルギー体でもある。お金は自分と同質のエネルギーのものと惹かれ合い、「帰っておいで」と声をかけてくれる存在のもとに帰って来ようとする。きちんと声をかけて、流れの中で動かしてあげれば、何倍になるかは別にして戻ってくる。
稼いだら浪費する。世の中にお金を流すこと。物を買ったり、プレゼントするのは、社会への還元行為でもある。我慢して貯め込んでおくのではなく、いつか返ってくることを願って、気前よく流してあげること。
人の顔色を見て仕事をしてしまいます
「人の顔色を見て仕事をする」ことは、全然悪いことではない。素晴らしい才能である。複雑な環境の社会では、身も心も柔軟な適応力が求められる。「人の顔色を見る」というのは、この時代のメンタルケアには必須の能力である。
複数名のメンバーと打ち合わせすると、間を取り持つことばかり考えるのは、その場の雰囲気を良くして、チーム全体でいい仕事をしようという、極めて誠実で真面目な性格である。悪く捉える部分などない。
場の空気を取り繕おうと失敗して、自己嫌悪に陥った時の対処法の1つは、心に別の自分を設定して、状況を描写すること。心にカメラを2台据えつけることである。人間は1カメだけでは生きていけない。意識的に2カメ体制にして、1カメでとらえた失敗を、プラスに相対化する。1カメで自分の恥ずかしい主観を捉え、2カメで俯瞰した自分の状況をネタにする。2層の意識を同時に立ち上げておくことで、自己嫌悪の感情を大幅に抑えることができる。
何かに夢中になる感覚は、歳を重ねると得られないのか
感性の豊かな若い頃を思春期と言う。見るもの聞くもの、触れるものすべてに驚いたり感動したりする。そんな多感な時代を、思春期以外に青春ノイローゼとも言う。青春とは、情報を受け取るセンサーが通常よりも過剰になっている。
青春ノイローゼは、歳を重ねると、自然に治っていく。10〜20代の時のような電撃的な感動は、次第に失われていく。外部情報の侵入に対する免疫ができるのである。でも、人間関係のストレスや、他人からの酷い仕打ちに対して「まあ別に気にしてもしょうがないか」とスルーできるようになる。感性が鈍くなるというとネガティブだが、歳を重ねると人はおおらかになれる。いい中年になって、青春ノイローゼのままだったら、刺激が多すぎて、身がもたない。
それでも、若い頃の気持ちをキープするためには、独自の感性アンチエージングがある。それは、美味しい料理を食した後、不味いものを必ず食べるのである。そうすると「美味しかった」記憶がリバウンドする。味覚の落差を体験することで、感受性の針が大きく振れ、この振れ幅が感性の若返りを促す。
感性の下支えには良いものばかりではなく、悪いものをたくさん積むこと。良いものの価値と強さは、自分の苦手なものの質量が土台となる。プラスを生み出すためには、マイナスが不可欠である。
必要とされるスキルがコロコロ変わるので、何をしたらいいのかわからない
何年も頑張って身につけたスキルが、ほんの少しシステムが変わっただけで、ほとんど通用しなくなることは珍しくない。そもそも努力して、スキルを身につける意味とは何かという根本的な疑問も湧いてくる。
しかし、何かの専門家になれなくても、薄く浅く技能を身につけた間口の広さは、柔軟なスキルだと言える。本当に将来、役に立つ知識など誰にも見通せない。
自分の納得できる居場所やメリットのあるスキルを探そうとしないこと。気分に任せ、いい意味で行き当たりばったり、思いのまま行動すると、損得など関係のない、自分が本当に夢中になれる何かに出会える。好きなことを見つけて、没頭する幸せを感じていれば、「必要と世間で言われるスキル」なんていうのは、関係なくなる。