成功を個人の努力だけで説明するのは間違っている
何もない状態から成功した人はいない。血筋や後援者の後ろ盾といったものは絶対に必要だ。隠れたアドバンテージや、信じられないようなチャンス、文化的な伝統の恩恵があったからこそ、他の人に不可能であるような形で学び、働き、世界を理解することができる。この法則に例外はない。どこで生まれ、どこで育ったかということは、人生に大きな影響を与える。
アイスホッケーの世界で誰がトップに登り詰めるかという法則は複雑だ。ジュニアでもプロでも、所属する集団で頂点に入る選手たちは、その40%が1〜3月、30%が4〜6月の間、20%が7〜9月、10%が10〜12月の間に生まれている。アイスホッケーをする子供たちが「レップ」と呼ばれるジュニアオールスターに選ばれるには、9歳か10歳の頃から才能を発揮しなければならない。選抜の際に重視されるのは体格と動きのよさだ。早い月に生まれた子供たちは、その点で他の子供達よりも優位に立てる。そして、レップに選ばれた子供たちは、高度な指導を受けることができる。一緒にプレーするのも優秀な選手ばかりで、多くの試合と練習をこなす。13〜14歳にもなると、高度な指導と豊富な練習量のおかげで、実際により優秀な選手になっている。
アメリカの野球やヨーロッパのサッカーも同じようなシステムを採用しているために、選手の誕生月がかなり偏っている。私たちの実人生にもっと大きな影響を及ぼす分野でも、これと同じような偏りが存在する。楽々とトップに登り詰めることができるのは、最も才能があり、最も優秀な人だと私たちは信じているが、その考えは単純すぎる。彼らは出発点からかなりのアドバンテージがあった。
成功している者ほど特別なチャンスを与えられ、さらに大きな成功につながる。金持ちほど税金が優遇される。優秀な生徒ほどいい教育が受けられ、教師から目をかけてもらえる。成功とは「累積的優位性」の結果である。小さな差がチャンスにつながり、差がさらに大きくなって、また別のチャンスに恵まれる。その繰り返しで最初の小さな差が大きくなり、外れ値となる。
ある特定の分野における外れ値が、その高い地位に到達することができたのは、能力、チャンス、そして完全に恣意的なアドバンテージの組み合わせという幸運に恵まれたからだ。
1万時間の法則
成功するには、持って生まれた才能の役割は思ったよりも小さく、準備の役割が思ったよりも大きい。ベルリンの音楽アカデミーを対象に行われた研究では、トップの学生の練習時間は累積で1万時間になっていた。一方、単なる「良」の学生の練習時間は累積で8000時間、プロの音楽家になれる望みがほぼない学生は4000時間あまりだった。同じパターンは、プロとアマチュアのピアニストの比較でも出現した。
練習時間はライバルよりもはるかに少ないのに、楽々トップに躍り出るような音楽家はいなかった。その一方で、他の誰よりも練習しているのにトップクラスになれないような「ガリ勉」タイプも見つからなかった。つまり、トップクラスの音楽学校に入れるような能力があるなら、そこから先の道を分けるのは練習量だということだ。
卓越した技術で複雑なタスクをマスターするには、絶対にこなさなければならない必要最低限の練習量がある。世界クラスの専門家と呼ばれるレベルのスキルを身につけるには1万時間の練習が必要だ。1万時間に満たない練習量で真に世界クラスの専門家になったという例は、これまで一度も発見されていない。
1万時間というのは膨大な時間である。まだ若い内にこの練習時間に到達するのは、独力ではほぼ不可能だろう。まずは、練習を促し、サポートしてくれる両親の存在が欠かせない。貧乏でもダメだ。ここまでの練習量を実現するには、めったにない幸運に恵まれる必要がある。
私たちは、成功とは個人の能力と努力の結果だと考える。しかし、事態はそこまで単純ではない。外れ値たちは、全力で努力し、成功をつかむチャンスに恵まれた。それに加えて、人並み外れた努力が報われるような時代にたまたま生まれたことで、社会情勢も味方につけることができた。彼らの成功は、彼らだけの功績ではない。それは彼らが育った世界の産物でもある。