思考実験とは
「思考実験」とは、哲学者や科学者たちが、自らの理論や主張を説明したり検証したりするために用いた、仮想的な問いかけやシナリオのことである。「もしも、こんな世界だったら?」「ある極端な状況で、あなたはどう判断するか?」といった一見突飛な問いを通して、私たちの倫理観や人間理解、認識や行動原理が試される。
日常の中でふと立ち止まり、「それって本当に正しいのか?」と自分自身に問い直す姿勢を持つことが、今の時代における思考実験の大きな意義と言える。
夢の懐疑:夢と現実を確実に区別できる根拠はあるのか(デカルト)
「夢から覚めて、今、現実世界にいる」と思っていても、これ自体が夢かもしれない。夢が現実感をもって見られているとすれば、夢ではなく現実に経験している世界も、実は夢の世界であるという可能性を否定できない。こうなると、人生全体を「目覚めない夢」と呼ぶこともできる。
洞窟の比喩:事物の本質とは何か(プラトン)
地下の洞窟に住んでいる人々は、洞窟の外に出たことがないため、壁に映った像を見ているのに、それが実物だと思い込んでいる。プラトンは、スマホやパソコン、テレビなどを想定している訳ではないが、プラトンがつくりだした「オリジナル」とその「コピー」という対立図式は、現代にまで影響を与えている。
テーセウスの船:オリジナルとは何か(トマス・ホッブス)
部品をすべて取り替えて新しくした時の船と、古い部品を使って再建した船と、いずれが最初の船と同じなのか。「同一か差異か」という問いは「どの観点か」を抜きには語れない。アリストテレスによると、物事を考察する時には「質量因」「形相因」「動力因」「目的因」の4つの原因に分けて理解すべきとされる。
「同一性」を考える時、もう1つ重要な点は時間的な変化の問題である。「時間的な変化にもかかわらず、同一にとどまるのは何か」という形で、問うことができるからである。
アビリーンのパラドックス:なぜ人は本心を抑えて「他人の期待」を優先するのか(ジェリー・ハーヴェイ)
個人の場合と集団の場合では、全く違う力学が働くことは、昔から知られていた。「アビリーンのパラドックス」のポイントは、集団の中で誰も望まない決定がなされることにある。これが成立するには、いくつか条件がある。その中で基本となるのは、集団の中で強いリーダーシップが働かない時である。他人の欲求を配慮し始めると、みんなが望んでいなかった事態が成立する。
労働とゲーム:「労働」は「遊び」なのか(ヘルベルト・マルクーゼ)
働くことは「労苦」という言葉もあるように、古くから苦しみと見なされてきた。働くことは苦しいけれど、どうしてもしなくてはならないものとして、人間の脳に刻み込まれてきた。
しかし、ヘルベルト・マルクーゼは「労働が遊びになる」と主張している。こうした転換が可能かどうかは、仕事の種類にもよるだろう。仕事が「遊び」になるには、変化に富んだものにならなくてはならない。
雇用の未来:AIが仕事をする世界は人にとって幸福か(カール・フレイ&マイケル・オズボーン)
21世紀になって、人工知能が進化して、人間の能力を超えるという話が現実味をもって語られるようになった。歴史的には、機械の発達によって労働者が仕事を失うという恐れは、すでに19世紀から始まっている。共通のトーンとなってきたのは「機械によって仕事が奪われる」というペシミスティックな見方である。
こうした見方に対して、全く違った考えを示したのが、21世紀になって登場した加速主義の人々である。彼らにとって、AIやロボットが進化して、人間の代わりに働くようになることは、悪夢ではなくむしろ福音なのである。「AIやロボットによって仕事しなくても良くなる」へ、考えるを変えることができるか。
色即是空:世界はすべて「空っぽ」か(玄奘三蔵)
般若心経は、仏教の全教典の中で最も短いものの1つで、全文わずか262文字で構成されている。般若心経は仏教の新たな解釈を提示するもので、その1つを象徴するのが「色即是空」という考えである。
この世の「物質的な要素(=色)」は「実態がない状態(=空性)」そのものであり、逆に「空性」もまた「色」であるということである。そして、人間を構成する5つの要素の内、「感受作用=受」「表象作用=想」「意志作用=行」「認識作用=識」という4つの働きについても、「物質的な要素=色」と同じく、空であり、空と異ならないと説かれている。こうして、この世の一切を「空」と見なして、いわば錯覚のように見るのである。