植物の驚異的な能力
植物はおそらく脳を持っていない。だが、その驚異的な能力からして、知性があるとみなされるべきだと考える人々がいる。もし植物が、動物にとって知性の徴候だとみなされることをできるとしたら、知性があるという表現を植物に用いないのは非論理的であり、動物中心主義のバイアスの表れである、とそのグループは言う。
様々な植物は自己と他者を区別でき、さらにその他者が遺伝的に近親であるかどうかを見分けられる。そうした植物は自分の兄弟の隣に生えている時、相手を日陰にしないように二日以内に葉の位置を変えるという。マメの芽は配管の中から流れる水の音を聞いてそちらに向かって伸びる。そして、ライマメやタバコなどいくつかの植物は葉を食べる昆虫の攻撃に反応して、その昆虫の天敵を呼び寄せて撃退するという。こうした驚異的なふるまいを探求した論文は増加している。
15億年前、藻類に似た細胞がシアノバクテリアを取り込んだ。この藻類に似た細胞は動物と菌類の共通の祖先である初期の生物で、シアノバクテリアは今日の世界で溢れている多様な最近の祖先だ。だが一緒になったことで光合成を始めた。最初の植物はキメラであり、遺伝的に異なる細胞が合体した生物だった。地球にあるすべての緑の植物の葉には、その最初の複合体の遺伝子が刷り込まれている。
この最初の生物が生まれてから15億年の間に、植物は進化し、50万種もに分かれ、地上のあらゆる生態系で繁栄している。その重さを測るとしたら、植物は地球の生き物の80%を占めている。
私たちが摂取するあらゆる糖を作ったのも植物だ。この世界で生物に由来しない物質から糖を製造できるのは葉しかない。私たちそれ以外の全員は二次的な使用者であり、植物が作ったものを再利用することしかできない。
だが、植物にいかに多くのことができても、走り回ることはできない。植物がこれほどまでに広範囲に分布できたことは、移動が限られていることを思えば、生命の最大の偉業の1つだ。捕食者や季節、必要な物質の欠乏、病気など、動けないことの危険性こそが植物を駆り立て、自然における極めて印象的な適応を生み出させることになった。
植物が成し遂げた内、最も重要なのは構造的な分散化だろう。植物はモジュール構造で葉を折ると、そこから新たな植物が育つ。守るべき中枢神経系がなく、重要な器官は分散しており、複製ができる。針やトゲ、刺毛が生えるものもあり、驚くべき正確さで、主な脅威となる哺乳類や昆虫の肉や外骨格を貫く。おびき寄せるために糖を含む粘液を分泌し、外敵を動けなくして、腹を空かせた口を封じてしまうものもいる。植物は多面的な生物で、自身にとっての世界を形成する周囲の環境や細菌、菌類、昆虫、鉱物、他の植物と常に生物学的な会話を交わしている。
植物に知性はあるのか
神経科学者が脳の内側を覗いた時、見えるのは分散されたネットワークだ。命令を下しているのはここだと識別できるような場所はない。私たちの知的な決定は特定の1カ所からではなく、ある種のネットワーク、意思伝達可能な統合された領域から生じる。
エディンバラ大学の植物生理学者アンソニー・トレワヴァスは、植物について考える時に好んでネットワーク理論を用いる。注目すべきは植物全体だと主張する。彼の考えでは、知性と意識を組み立てる戦略は脳の他にもある。植物は彼らの必要に応じて、異なる経路を辿って進化した。彼らの注意や認識は各部分に局在しているが、すべての部分が意思疎通し、全体として戦略を練ることで、やはり同じように意識を生み出している。動物の脳がより中央集権化されているのとは対照的に、植物の意識は局在化せず、植物全体で共有されていると言う。
トレワヴァスは、植物の成長を、それが常に自意識を持っていることの証拠とみなす。植物はモジュール構造をしている。多くの結節点から伸び、その先端は分裂組織、つまりどの組織にもなれる細胞の塊になっている。分裂組織は植物が絶えず全身で感知した結果を感じとっている。
人間の脳の中で、記憶はニューロンの結合と言う物理的な実体だ。植物では、記憶は物理的な経路でもあるかもしれない。土壌に広がる根は枝分かれや曲がり方が、かつて水分が溜まっていた場所を示している。以前に枝が生えていて、幹から突き出た部分は、太陽が当たっていたが、やがて日陰になってしまったことを教えてくれる。こうした記憶が保たれる下地となるのは、人間の場合の灰白質とは異なり、土壌や大気である。食べ物が太陽で、それをすでに浴びているため、ただそれを受け取ることができるように進化すればよかった植物は、持ち運び可能な脳を持たず、代わりにあちこちに口がついた腕をすぐに、無限に再生できるように進化したのかもしれない。