地域活性化の矛盾
私たちは、1990年代の後半頃から「限界集落」や「消滅可能性自治体」などの言葉を用いて、地方の縮小を指摘し、その対応策として「地域活性化」や「地方創生」を進めてきた。しかし、私たちは人口が減少していく中でも「続いていく地域」の具体的なイメージを未だに描けていない。
これまでの地方の将来像は、人口や基幹産業の規模などの量的な指標を用いて論じられてきた。その中心にあり続けるのが、自治体単位の人口である。人口が減っていくことが地域の直面する様々な問題の根幹とするならば、対応策は自ずと「少子化対策」や「子育て支援」「都市圏からの移住促進」など、人口の回復を目指すものになる。
他方で、総人口が減っていく中で、すべての自治体が人口増を目指すなら、起きることは地域間での人口の取り合いである。こうした矛盾に気がついていながらも、人口を獲得することによって問題を解決する以外の方法を、私たちはまだ考え出すことができていない。
問われているのは社会の発展や豊かさ
限界集落と田園回帰1%戦略などの主張の背景には、人口規模の維持が命題としてある。人口が減ることは「憂うべき」こととされ、その事態は、人口の量的回復をもって回避されるべきとする。しかし、人口は地域を構成する要素ではあるが、それだけが大事ではないはずだ。人口が減ることが、人々の生活の質を直接的に低下させているのかどうかについては、慎重に見ていく必要がある。
そして、「縮小の中でも持続可能な地域は可能か。可能な場合、それはどのような仕組みを持った地域をつくることなのか」というのが総論の問いであり、これに答えていく中で斬新なアイデアを出していけるかが、本来的に取り組まなければならないテーマである。
私たちは2010年を境に、それまでの人口が増えながら若い人たちが中心だった社会から、人口が減りながらシニアの人たちが増えていく社会に向かっている。この若年増加型社会から高齢縮小型社会への質的転換の中で問われているのは「私たちの社会における発展や豊かさは何を意味するのか」ということだ。
若年増加型社会のフェーズは、日本経済が急成長し、社会のインフラ整備が全国的に進んだ時期である。今日よりも明日、今年よりも来年と、目に見える形で社会の成長が感じられ、人々の暮らしが豊かになっていった。一方で、高齢縮小型社会のフェーズにおいては、過去の経済成長や物質的な豊かさを再度生み出すことは困難だ。そもそもそうした方向性の豊かさを社会が希求している訳でもないだろう。
これまで日本では、こうしたズレを直感的に感じながらも、人口減少を課題と捉え、その解決を探り続けることにのみ集中してきた。私たちが本当に向き合わなければならないのは、社会としての価値観、つまり「どのような状態になればこの社会が豊かになったと言えるのか」という問いだ。縮小を経験していく中でも豊かに暮らしていくために、どんな視点が必要になるのかを、それぞれの地域で考えていく必要がある。
地域が続いていくとはどういうことか
人口を中心に地域の存続を捉える視点以外から、地域の将来像を考えるためには、地域を俯瞰して捉える試みが必要である。減少する人口と弱っていくインフラや共同体を見て場当たり的に対策を繰り出すのではなく、問題をつくり出している状況や構造、システムに視線を移し、そこで機能する「仕組み」を考察してはじめて、「地域が続いていくこと」について考えることができる。
地域の仕組みについて注目すると、ある地域は静的な項目だけでなく、動的な項目と合わさって構成されていることが見えてくる。例えば、住居や道路、農林地、商業施設などは、地域の物理的な特徴を決めるもので静的なものだ。一方、住民間の会話やイベント、外部から訪れる人たちとの交流などは、常に変化していて、動的なものと言える。ある地域の動的な構成要素には3つの軸がある。
- 継承(先行世代と後継世代)
- 里山(自然と人)
- 文化(定住する人と漂白する人)
ある地域は、こうした軸の中で起きている流れの中の「あいだ」としてある。ある地域がその静的な部分と動的な部分によって構成されているという見方を取り入れると「人口」というものの捉え方に大きな変化が起こる。
その土地に暮らす人の人口がどうであれ、その時々でその地域にいる人々が、自分らしく、自己肯定感が高く、安心安全を感じながら暮らすことができるような環境を生み出す仕組みが必要だ。そのために、何が必要なのかを考え、対話し、実際に行動していくことが求められる。
1つの地域はその内側の状態によってのみ決まるのではない。地域の内と外のつながりを様々な切り口から見出し、それらの流れを強く、太くしながら、そこに暮らしている1人1人が感じられる暮らしの質を向上させていくことが、新しいアプローチになる。