なぜ努力をすることが必要なのか
理不尽とも思える試練や困難に遭遇した時こそ、それを真正面から受け止めて乗り越えていく姿勢と努力が必要である。生じるすべての事には、意味が隠されており、努力を通して、気づく事こそが人生の飛躍的な成長・進化に繋がる。
結果を出すために努力をする事が、努力の本当の目的ではない。努力の真の目的とは、「人生の真価」に目覚め、それを発揮する事によって「成長・進化をすること」である。
努力には2つある。1つは困難にもめげずに積極的に果敢に攻め、ぶつかっていく努力、もう1つは嵐や激流の中でひたすら耐え忍ぶ努力である。前者は「動」の努力であるのに対し、後者は「静」の努力である。
「静」の努力とは流れに逆らわないという事である。逆境や過酷な試練が訪れた時、闇雲に向かっていくのは、急流に逆らって川を上がるようなもの。やればやるほど、うまくいかなくなる。そんな時には、激流に流されないよう、岩にしがみつき、「ひたすら耐え抜く」努力を行う。真正面から受け止め、逃げない。その上で、ひたすらそこに留まる。
「悲しみ、もがき苦しみに耐える」事を「努力」という1つの尊い行為としてプラスに捉える事は、大切な知恵である。「静」の努力を続けていると、ある日、霧がさっと晴れるような瞬間がある。考え、苦しみもがいていると、それさえも疲れて考える事すら苦しく、すべてを放棄したくなる。その時に、ふっと「無」の境地に陥り、目の前に見えなかったヒントや道が突然見えてくる事がある。
「静」「動」の努力を問わず、努力の過程では、時としてうまくいっている人、才能のある人を見て嫉妬しがちになる。大切なのは、比較をしないこと、等身大の自分を見失わないことである。
真に欲する目標が必要である
私達が努力をする時、その先には努力する事によって達成したい目的や目標がある。達成したいところへ、今いるところから行くためのツールが「努力」である。
ところが、努力がなかなか実らない時、または自分ではコントロールできないような試練や逆境に遭遇した時、努力のむなしさを感じてしまう事がある。でも、努力をマイナスからプラスのイメージに転換すると、途端に今見えている世界とは別の新たな世界が開けてくる。
努力には必ず目的や目標がセットになっている。しかも、それらが強ければ強いほど、ビジョンやミッションの存在が強烈であればあるほど、努力は実る可能性が高い。本当に魂に火がついた時、私達はどんな艱難辛苦をも乗り越えて行けるパワーを得る事ができ、それを達成する事が「喜び」となる。心が真に欲する目標に向けた努力は「究極の美しい努力」につながる。
努力なくして運はつかめない
努力をどれだけ重ねても、結果は必ずしもついてくるとは限らない。結果を出すためには、努力に加えて「運」というハードルがある。目的や目標が高ければ高いほど、運が左右する割合は確実に増えていく。どれだけ努力をしても、運から見放される時もある。但し、究極の美しい努力なくしては「運」はつかめない。究極の美しい努力をした後は何かに結果を委ねる事が大切になる。
逆境や試練が運命を変える
宿命は努力で変えられないが、運命は自由意志や努力で変えられる。「何が宿命か」「何が変えられるのか」という事は、無駄に思えるような努力をしてみないとわからない事が多い。そのためにも宿命に挑む努力は必要である。問題は努力が必要か否かではなく、それは当然の前提として、その努力が実らない時、もしくは努力をする途中で大きな壁や逆境にぶつかった時でも、努力を続けるためには、どうしたらいいかを考える事が大切である。
人は逆境に立たされると、心が折れ、身動きができなくなり、無力感に陥る。しかし、逆境におかれた時こそ、そして理不尽さが募れば募るほど、そこには隠された深淵なる意味がある。それに気づき、克服していくために必要なツールが努力にほかならない。逆境や試練は、運命を変えていくチャンスを与えてくれる。過酷な逆境や理不尽さに努力を持って挑む事が運命をも変える。