運はコントロール可能である
運は本人の意志と努力次第で、ある程度はコントロール可能である。人によって運の総量そのものに大差はないと考えている。運を良くする行為、運を悪くする行為によって、個々人の運の総量が変わっていくのだ。運のいい人とは「運を使い切れる人」である。運とは、自らの行動によって機能する「変数」のようなものだ。誰にでも平等に発生する運の変動をうまく掴めるかによって、ビジネスと人生で勝ち得る成功者になるかどうかが決まる。
長期的な「運」と短期的な「ツキ」とは全く別物である。勝負事などの短期のツキをコントロールすることは実質的に不可能である。しかし、人生とビジネスにおける中長期的な運であれば、十分にコントロール可能である。
この中長期の運のコントロールとは、「大数の法則」に則った科学的なものである。大数の法則は、サンプル数が多ければ多いほど、その平均は母集団全体の平均に近づくというものだ。運を良くする行為、悪くする行為は、サンプル数が多ければ多いほど、よりハッキリ見えてくる。人生においては常にチャレンジを続け、サンプル数を多くしていくことが重要である。
運の感受性を研ぎ澄ます
世の中には、運に対する「感受性」が強い人と弱い人が存在する。運の感受性には、単なる頭の良さや勤勉さなどは関係がない。運の感受性のほとんどは「人間対人間」の問題に帰結するからである。
運の感受性とは、自分にとって追い風となるチャンス、向かい風となるピンチを見極める能力のことを指す。自らの運を上手くキャッチするためには、運の「アンテナ」をピンと立てることが重要となる。但し、漫然と成り行き任せの生活を送っているだけでは、アンテナの感度も悪くなり、自分に向かってきている運に気づくことはできない。「何かやってやろう」という意欲を心の中に充満させた状態でアンテナを立てればこそ、幸運も不運も敏感に察知することが可能になる。
幸運の最大化と不運の最小化
幸運と不運が巡ってきた時、私たちはそれぞれにどう対峙するべきだろうか。結論は、「幸運の最大化と不運の最小化」が最良の方策である。つまり、幸運が訪れた時はいかにその幸運を最大化するか、不運が訪れた時はいかにその不運を最小化するかが、運の総量をコントロールする秘訣である。
人は不運な時に一生懸命もがいて、何とか自分の受けた損失をカバーしようとする。だが、下手に動くと傷口はさらに広がるものだ。だからこそ、不運な時は下手に動かず、自己抑制して何もしないようにする。そうして、不運をしのげば、その後に幸運がやってくる。訪れる幸運は不運に反比例して大きなものとなる可能性が高い。そういう時は、エンジン全開で思い切りレバレッジをかけ、その幸運を一気呵成に増幅させなければならない。「運を使い切る」ことに全力を注ぐのだ。
幸運が巡ってきた時に、運をとことん使い切って、目一杯の果実を収穫しておく。それを不運が巡ってきた際の蓄えとしてキープし、頑丈なセーフティネットを築いておく。そうすれば、向かい風が吹いてきても十分に耐え忍べるため、気持ちに余裕をもって不運の最小化ができる。
運の三大条件
当たり前で合理的なことをブレずにやり続けることが、運を開く上での正攻法になる。この運を呼ぶ合理性を活かす上での前提条件は次の通り。
①攻め
不確実な現代において、思わぬ幸運や不運はそれなりにやってくる。今のような時代は「リスクをとらないのが一番のリスク」である。リスクをとるためには、攻めの姿勢を保ち続けることが重要である。攻めの姿勢を大事にしなければ、決して良い運はやって来ない。
②挑戦
自ら果敢に挑戦する者にだけ盛運が訪れる。注意すべきは、闇雲に挑戦を続けるだけでは、運は巡ってこないことだ。果敢な挑戦の手を緩めず、かつ現実を直視した速やかな撤退を恐れないこと。まずは思い切って実行してみて、その上で十分に考えることが重要である。
③楽観主義
未来に希望を持つ「楽観論者」の方が運に恵まれる。そもそも成功者というのは、何かを成そうと、楽観的に常にチャレンジを続ける「挑戦者」である。何より挑戦者であることが、運を引き寄せる上での前提条件になる。
チャンスとピンチに敏感になる方法
幸運をモノにする人は、チャンスとピンチに敏感である。それも目の前のものだけでなく、潜在化したチャンスとピンチにことのほか敏感だ。彼らの感受性が強いのは、「主語の転換」と「メタ認知」を駆使しているからだ。この2つを同時並行的に使い分けることで、多くの人が気づくことができないチャンスとピンチが両方見えてくる。
- 主語の転換:相手を主語にして考えてみる。相手の立場になって考える。
- メタ認知:自分自身を客観的に認知する。鳥の目、虫の目を駆使して、マクロな視点で俯瞰して見る。