ユニクロの成功と苦労の歴史
幼少の頃の柳井氏は内気で特に将来の目標なく、いずれ家業の洋服屋を継ぐことになると感じていた程度だった。大学卒業後はジャスコへ入社し、紳士服売場への配属されたが、1年足らずで退社。半年ほどぶらぶらしたが、親の説得に負け、実家の洋服屋を継ぐために実家に戻った。
既存従業員と衝突しつつ、実家店舗に効率経営を導入。25歳の時に父親から実印を渡され、実質的な経営者となった。仕事はつらいと思いつつも様々な業務に関わり、徐々に面白みを感じてきた。自分で考えて、自分で行動するという商売の基本を体得した。
あるときアメリカの大学生協で、品揃えが良く、接客不要で買う側の立場で店づくりされているのを見て、ユニクロのコンセプトを発想。ユニクロ一号店を出店し、成功を収めた。その後、店舗展開、FC展開、IPOしていく中で柳井氏自身が商売人から経営者へと変わっていった。
順調に成長していったように見えるファーストリテイリングもNYデザイン子会社の失敗、スポクロ・ファミクロの失敗などを失敗を重ねながらも挑戦と試行錯誤を続けてきた。その後、フリースブームを仕掛け、一気に売上高1千億を超える企業へと成長を遂げた。
急成長の中でも組織体制構築に余念なく、ITの導入、従業員に目を向けた組織作りに邁進。海外進出も遂げており、上海に出店している。今後はアメリカなど海外進出や他業種への進出などを考えている。
失敗から学習する
成功するということは、保守的になるということ。商売というのは、現状があまりうまくいかないときに、「だったら、どうやればうまくいくのか」ということを徹底的に考えるということであり、成功したと思った時点でダメになる。
失敗を恐れず、失敗から学習し、方向転換をすることが経営にとって大切である。