戦力外Jリーガー
ガンバ大阪に入団後、公式戦に出場することができたのは、入団初年度の2001年だけ。入団3年目、戦力外通告を受けた後、JFLに所属していた社会人チームの佐川急便大阪SCでプレーすることを選んだ。一旦、身の丈に合った環境に戻り、そこから再びプロに這い上がろうとした。ところが、そこで試合に出るようになっても、なかなか思うようなプレーができない日々が続いた。Jリーグのクラブから注目されるどころか、JFLでも通用していると言えるかどうかすら、かなり怪しい。その事実の残酷さは、ガンバ大阪で戦力外通告を受けた時よりも、はるかに大きなインパクトを自分に与えた。
そうしたショックの中で、ようやく自分自身の力量を客観的に見つめ直そう、という気持ちになった。自分にはもう、Jリーグでプレーする可能性はほとんどない。可能性はゼロではないがあってもせいぜい5%。人生を100年とするならば、80年近く残されている人生というかけがえのない資源を5%しか可能性のないサッカーではなく、それ以外の所に投資した方がいいのではないかと考えるようになった。
手放すことで新しいことを始める
佐川急便を退社し、再びJリーガーになることを諦めるということは、12年間におよぶ「サッカーづけ」の自分の過去を捨ててしまうことのように一見、思えるかもしれない。そこで失ってしまうもの、そして新たに得られるものは何か、ということについて何度も考えた。その結果、その12年間にとらわれたことで、12年間よりもずっと長いその後の人生を棒に振ることになるのであれば、そのほうがよほどもったいないと自らの可能性を見極めた。
何かを手放したからこそ、新たに始められることがある。辞めたことがネガティブな行為となるのか、ポジティブな行為となるのかは、辞めた後に自分がどう行動するか、というその一点で決まる。
撤退という決断が自分自身の意志によるものであっても、戦力外通告のように自分以外の人や組織の判断によるものであっても、どう受け止めるかを決めるのは自分であるという点で、何も変わらない。いくつかのことを体験し、そこから何かを捨て、何かを選択しなければならない。意識的にしろ、無意識的にしろ、多くの人はそうした判断を繰り返している。そうしてトライアルを行い、選び、選ばれている内に、人生を生き抜くための意思決定力が培われていく。しかし、その一方で自分を冷静に見極める力がなければ、そこで「願望」に振り回されてしまう。感情と願望に左右されて判断を誤ることほど、もったいないことはない。
発する言葉で未来を変える
プロサッカー選手として最も足りていなかったものは、フィジカルでも、テクニックでもなかった。決定的に欠けていたのは、そもそも自分は何者であるかを「見極める力」、そしてその自分を成長させるための推進力だった。
佐川急便を退社し、父が営み、二人の兄も手伝っていた家電などのリユース会社に就職した。新しい仕事では、戦力として求められ続けるように「嵜本にいてもらわないと困る」と周囲から思ってもらえるようにしようと、何でもすると心に決めた。
同じ出来事であっても、受け止める側の姿勢によって、それは「ネガティブ」にも「ポジティブ」にも解釈できる。「困る」「面倒だ」とネガティブに受け止めれば、それ以上、仕事を楽しむことはできない。その一方、「嬉しい」とポジティブに受け止めれば、その嬉しさ、楽しさはお客様にも伝わり、ますます商売は繁盛する。使う言葉1つで今が変わり、未来も変わる。そうであれば、より幸せになれる言葉を選び、使うべきではないかと考えるようになった。
出来事をポジティブに捉え、「それなら、どうするか」を考える癖をつけていく内に、一般的には「できない」と言われていたことでも、視点を変えれば突破口が見えてくる。その一例が、リユース品のインターネット販売だった。