バイク便を起業
親のいう成功ストーリーから外れた。就職して会社員になったところで、大学も出ていないのに出世するわけがない。でも、どうにか楽しい人生にしたい。21歳の時、どう生きようか悩んで、辿り着いたのが「起業」だった。
起業することを決めたものの、当時何か特別な夢があるわけでも、理想があるわけでもなかった。ビジネスアイデアすらない。どんな事業をやったらいいのか友人に相談したところ「一緒にバイク便をしないか」という話になった。
バイク便のライダーは、タクシーの運転手みたいに売上歩合給になっている。一生懸命働いた分の半分くらいを本部が持っていくというシステムで、本部をやれば儲かるんじゃないかという安易な発想に乗っかった。そうして1991年に創ったのが有限会社アンビシャスだった。この会社はそこそこ儲かった。当時、バイク便は全盛期。バイク便の会社はあちこちで乱立していたが、組合みたいなものをつくって、価格を下げないようにしていた。そんなところに後発で入り、組合からの誘いを断って、組合価格から3割くらい安い料金設定にすると、バンバカ仕事が取れた。
バイク便は8年くらい成長を続け、全盛期で100人ほどの従業員を抱える規模になった。しかし、1999年頃からインターネットが一般的に普及し始め、CD-ROMや書類や版下、フィルムを運ぶバイク便の仕事はどんどん減っていった。
SF映画を見てアイデアを着想する
「次はインターネットで何かしたい」という想いが湧いてきた。そんな時、ふと思い出したのが『ザ・インターネット』という近未来のインターネットの世界を描いたSF映画だ。映画の開始早々、仕事の合間にパソコンでピザを注文するワンシーンがある。
「これだ、これが未来だ!」。当時、出前と言えば、電話をかけるのが当たり前だった。日本国内やアメリカの先行事例を調べたが、デリバリーをネットで注文できるサイトは存在しなかった。もしかしたら、世界初のビジネスモデルになるかもしれない。早速、仲間集めに走り出した。
当時は、運送屋の社長で、身の回りにインターネットをどうこうできる人なんて誰もいない。そこで目に入ったのがオンラインゲームの仲間だった。その中にパソコンに詳しかったり、インターネットを使って仕事をしたりできそうな人もいて、スカウト活動を始めた。誘いに乗ってくれたのが創業メンバーの4人だった。
メンバーは揃った。次に創業資金だ。当時は事業計画書すら書いたことがなく、必要資金の計算もわからなかったが、新会社の資本金は1億円と決定した。世界初のビジネスモデルかつ、「めちゃ儲かるモデルで、もうすぐできる新興市場で最短上場を目指します」と、知り合いを口説き始めた。その時にフル活用したのが、映画『ザ・インターネット』の映像だった。そして、合計65人から出資頂くことに成功し、資本金1億円を集めた。
社名は「夢の街創造委員会株式会社」。後に「出前館」と社名を変えることになる会社だ。元々、インターネット上に夢のような街を創ろうと思っていた。仕事探しもできるし、コミュニティもつくれるし、買い物もできるし、出前もできる。そんな想いでスタートした会社だった。
出前はインターネットに向いていなかった
当初は周囲に理解者はいなかったと言っても過言ではない。1999年当時は、パソコンを立ち上げてインターネットがつながるまでに5分かかり、つなげた時間だけお金がかかる従量課金。何よりパソコン自体も普及しておらず、インターネット回線を引いていない家庭が普通だった。
「電話で注文したらすぐなのに、なんでわざわざネットで注文するの?」と何度言われたかわからない。それでも、ネットで出前をとれる未来を諦めなかった。やりたいことに近づくために試行錯誤を続けた。
準備が整い、出前館の加盟店を集めようとなった時、なぜ映画のワンシーンになっているものを、世界中の誰もやっていなかったのか、真実を目の当たりにすることになった。
出前は、インターネットに全く向いていなかった。お昼時に注文が殺到すると、出前の電話を取りもしない。地域の出前を担う小さな飲食店の店主は、インターネットを触ったことさえない。そもそもインターネットは個人と世界をつなぐことが目的のツールだ。一方、出前は小さなローカルがターゲットである。わざわざ配達エリア外のお店を検索して、出前を注文する人は存在しない。
出前館は1999年に創業したが、フードデリバリー業界で次に世界が動き始めたのは、それから5年遅れの2004年、アメリカの「グラブハブ」という企業だった。UberEatsは、さらに10年遅れの2014年からである。
配達エリア外からの注文は絶対に入らない工夫が必要で、郵便番号よりも細かい「丁目単位」でお店をデータベース化する必要があった。ひたすら、全国を懸命に練り歩いて、地域の出前店を口説きまくった。そこでは「なぜそうするのか」という信念を語ることで、店主の心を動かしてきた。なぜこんな世界を創りたいのか、なぜ出前をインターネット経由にしたいのか。夢を語りまくっていた。
数年に及んだ「全国口説き行脚」が軌道に乗り始め、加盟店が増えてくると、少しずつ「出前館」のサイトの利用者も増えていった。